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2012年5月1日

3288 かつて南砂にあった「平岡工場と汽車会社展」 が開かれます

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3288 かつて南砂にあった汽車製造会社、「平岡工場と汽車会社展」が開かれます
午後の診療に出ようと白衣で医院の前を歩いていたら、元気な小父さんに表記のパンフレットを渡されました。観客を呼び込みたいと言う事ですのでご協力いたします。
彼に依ると、地下鉄車両も初期の新幹線車両も皆、南砂で作られていたのだそうです。(注1)
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「開催にあったって」
さてこの度、アジア最大級だった民間鉄道会社「汽車製造会社」(汽車会社)と我が国最古の車両会社「平岡工場」、後に汽車製造会社と合併(東京製作所)の資料と写真展を開催いたします。近代日本産業として貢献した歴史を紹介したいと思っております。
 ぜひ鉄道ファン、一般の人たちに伝えたいと思っております。

「会場」 江東区文化センター 2階展示ロビー
     江東区東陽4-11-3 地下鉄東西線東陽町駅より徒歩5分
「日時」 平成24年5月7日(月)から5月13日(日)まで。
     初日は午前10時より。最終日は午後5時まで入場無料。

「主催」 平岡工場、汽車会社研究会
「協力」 青梅鉄道公園、(財)碓氷峠交流記念財団、江東区文化センター 
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注1)と、清澤のコメント:
汽車製造会社をwikipediaで見ますと、確かに
1964年(昭和39年)東海道新幹線0系電車の製造開始。営団東西線5000系の製造開始。
1970年(昭和45年)12月 帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)千代田線・6000系第12・13編成が完成。営団向けの車輌としては最後であった。

1972年(昭和47年)神戸市に本社のある川崎重工業と合併。同社を存続会社とし汽車製造株式会社を解散する吸収合併で、会社設立76年目で終結。

以後、当時製造中の103系電車や新幹線0系電車なども製造権は川重へ移転することとなる。との記載が有ります。

平岡工場の創設当時の所在地は錦糸町駅の南側で、昭和初期に城東区砂町に移転。明治通り沿いに残る貨物線と「小名木川貨物駅を介して製造された車両はD51で牽引して出荷されていた」との記載が有ります。東陽町には今も川崎重工に属する部門が多く存在しますが、その名残なのでしょうか。

1959年(昭和34年)、「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(工業等制限法)」が制定され、工場等の新設・増設が制限されました。また地盤沈下などの公害が深刻化し、企業の負担も増大しました。その結果、1965年(昭和40年)頃から大規模な工場移転が行われました。

1969年(昭和44年)には、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)東西線が延伸。「南砂町駅」が開設されました。工場の跡地には団地が建てられました。汽車製造東京製作所の跡地は南砂2丁目住宅になった。南砂一丁目から六丁目の各町に都営住宅が建てられた。::とwikipediaの南砂の項目に記載が有ります。

私が大学に入学した昭和47年と言う、昨日の様な近い時代のこともこの地域に住む多くの人々には解らなくなってしまっているのには驚かされます。

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