お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2012年3月16日

3149 「実情を視察すればするごとに眼が痩せて来る。人はこれを実際論といふか知らぬが、われわれの望むところは君の理想論である」(児玉源太郎)

晩年の新渡戸稲造
中野の南に東京文化学園というのがあって、それは最近新渡戸文化学園と改称されたらしい。新渡戸稲造は旧5000円紙幣や文化人切手にも取り上げられている日本の文化人でキリスト者でも有ったらしいのだけれど、そのあたりに関連した話が今月初めからネットに出ていて、ちょっと気になっていた。今日の「眼の話題」にはそれを引用してみよう。キーになる言葉を述べて新渡戸稲造を台湾に招聘しようと口説いたのは児玉源太郎である。

「君が海外にあって進んだ文化を見て、その眼のまだ肥えている中に、理想的議論を聴きたい。実情を視察すればするごとに眼が痩せて来る。人はこれを実際論といふか知らぬが、われわれの望むところは君の理想論である」(児玉源太郎)

ーーー記事の引用ーーーー
【次代への名言】
わが心の故郷(みちのく)編(17)
2012.3.1 03:34
 ■「実情を視察すればするごとに眼が痩せて来る。人はこれを実際論といふか知らぬが、われわれの望むところは君の理想論である」(児玉源太郎)
 人間の一生には四季がある、という。

 新渡戸稲造を例にとれば、故郷・盛岡を出て養父とともに上京、明治10(1877)年に15歳で札幌農学校に入学したあたりまでは「春」。その後、米独に留学、帰国後は母校を拠点に教育に邁進(まいしん)するが、体をこわし、米国での転地療養中に名著『武士道』を書き上げた1900年ごろまでが「夏」といえようか。

 以降、新渡戸の人生は四半世紀にわたる「実りの秋」に入る。彼は台湾総督府で発展の礎をきずき、旧制一高の校長や東京女子大の初代学長、国際連盟の事務局次長などを歴任するのだ。

児玉源太郎
 この間、彼はさまざまな史上の人物に出会い、そのうち何人かを、上司と仰いで仕えることになる。日本陸軍の偉才、児玉源太郎もその一人だった。

 児玉に対して抱いていた新渡戸の印象はよくなかった。明治20年代後半のことだろう、児玉が陸軍次官として衆議院で答弁しているのを聴いていて、「なんとずるい人だろう」と思った、という。

 その児玉が台湾総督に就任し、一面識もない新渡戸を起用するという。迷ったすえに、新渡戸は台湾行きを決める。

 着任早々、新渡戸は児玉に驚かされる。それが、「君が海外にあって進んだ文化を見て、その眼のまだ肥えている中に、理想的議論を聴きたい」と言ったあとに続けた、常識を逆手に取った冒頭の指示だった。(文化部編集委員 関厚夫)
ーーーーーーー
清澤のコメント:人生を四季に分けるという。凡人の人生を偉人の生涯に比するというのもおこがましいが、還暦が近付くとその終幕も多少は考えるようになる。

この記事を読んでみて自分の今がそのどこにあたるかを考えてみて、この後に多少なりと人の役に立つ何を加えることができるか?と考えてみるのも一興である。

この話題は何かと考えたら、エンディングノートというこんな映画も有った。

Categorised in: 未分類