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2011年12月4日

2864:12月5日は1904年(明治37年)に日露戦争で203高地の戦いに勝利した日

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12月5日は今から107年前に当たる1904年(明治37年)に日露戦争で日本が203高地の戦いに勝利した日です。当時の国力を比較すると、ロシアは人口で日本のおよそ3倍、国家歳入で10倍、貿易輸出額では20倍ですから、この戦いに勝てるということは、大変なことであったと思われます。

 陸上からの旅順港攻撃は第一次、第2次と周っぱいしており、その第3回総攻撃は11月26日からでした。この時は攻撃目標を要塞本体ではなく、旅順北西側の二〇三高地に変更しました。二〇三高地は標高203メートルの何の変哲もない丘陵だが、その頂上からは旅順港を一望に見下ろせました。そこで弾着観測を行えば、港外からの砲撃でロシア艦艇を沈めることが可能になるばしょです。

 ロシア側もそれは十分に理解しており、二〇三高地の攻防は歴史に残る激戦となりました。一進一退の状況が続きましたが、12月5日、日本陸軍第3軍は約1万7000人の死傷者と引き替えに二〇三高地を占領しました。それ以降、旅順港への正確な砲撃ができるようになり、同11日までに港内のロシア軍艦は全滅しました。艦隊の全滅を目の当たりにしたロシア兵の士気は著しく低下、要塞本体の抵抗も急激に弱まり、05年1月2日、旅順のロシア軍部隊はすべて降伏しました。

 この後にヨーロッパから回航されてきたロシアのバルチック艦隊と東郷平八郎率いる連合艦隊の間で繰り広げられる日本海海戦での日本海軍の勝利で日露戦争は終結に向かいます。

この戦争、日本は勝利を得るのですが、以後の太平洋戦争へと日本が引きこまれて行ったわけです。その意味で1904年12月5日は大きな分岐点であったともいえるでしょう。

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