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2011年12月2日

2860 「サラの鍵」(仏)と言う映画だそうです。

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映画「サラの鍵」は第二次大戦の頃パリで起きたユダヤ人迫害に関する話です。

戦時中のフランス北部はドイツに占領され、南部はビシーにペタン元帥がドイツに協力する政権を建てたのですが、北部に属するパリでもユダヤ人の収容はフランス警察の手によってなされたという話です。

戦後のフランス人にとってレジスタンスの勇士はその誇りですが、話はそれほど単純では有りません。心ならずもドイツ人に協力した人も少なくはなかろうし、戦後になってから占領下にドイツ兵と結婚したフランス人婦人の髪を切って晒し者として歩かせたとか、戦時中に誰それがどのユダヤ人を当局に売ったとか、この手の心に傷を残す話は無数にあります。以前読んだ密告と言う話もそんな話でした。

場所はポーランドですが、先に取り上げた2511 マルカの長い旅も忘れられません。

それだけに、ヨーロッパ人には、迫害された側からの抗議だけではすませない、ホロコーストの苦い思い出は、他人事ではない心の傷なのでしょう。

追記:この本を大手町丸善でやっと探し出して今朝(12月4日)購入し、後半部分から読みました。ネットではサラ達が収容されたVel d’Hiv(ベルディフ)はセーヌ川を挟んでトロカデロ宮殿の向いのエッフェル塔の西辺りと言う地図と、15区だったと言う話(あそこは15区ではないのではないかかと?)が交錯しています。アパートの場所はマレ地区ですからルーブル美術館の北東辺りですね。フランスのシラク大統領がベルディフ事件への「フランス政府の責任」を述べたのは1995年だったそうです。元の本は、「彼女の名前はサラ」(エルサぺル サラ)
本文を読むと、このカギの掛かるアパルトマンの物置は、今なら掃除機や箒を入れる様な小さな押入れだったことが分かりました。
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「サラの鍵」(仏)
迫害、それでも命は続く

 1942年、ナチス占領下のパリで起きたユダヤ人迫害事件。その取材過程で米国人ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス=写真)は、サラというユダヤ人女性の存在を知る。

 2人の接点はパリのアパート。ジュリアのフランス人の夫が祖母から譲り受けた部屋のかつての住人はユダヤ人家族だったことがわかる。一斉検挙の際、姉のサラはとっさに弟を納戸に隠しその鍵を握りしめたまま収容所へ。そして現代。ジュリアはその後のサラと弟の足跡を克明に追う。

 パリのユダヤ人連行はドイツ軍でなくフランス警察の手で断行された。フランス人のユダヤ人に対する複雑な思いは後に迫害への加担を認めた大統領演説で落着するが、今なお心の傷は癒えることがない。

 ここでもその心の傷に迫る「真実の追求」が焦点となる。連行されたユダヤ人一家の部屋に住む夫の親族に対する疑惑の眼差(まなざ)し。真実の追求は常に苦痛と恐怖を伴うものだが、だからといって歴史の中に真実を葬り去るわけにはいかない。ジュリアはたとえ夫婦関係が破綻しようとも本当のことを知ろうとする。そこから初めて真の歴史が動き出すのだから。

 ここで描かれるのはユダヤ人女性の悲運な生涯だけではない。たとえサラが死を迎えようとも命というものは形を変えて連綿と続いていく。その命の連鎖、生命の尊厳こそサラが我々に遺(のこ)したメッセージではないのだろうか。監督・脚本はジル・パケ・ブレネール。1時間51分。17日から、銀座テアトルシネマなど。(映画評論家・土屋好生)

(2011年12月2日 読売新聞)
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清澤のコメント:
パリの比較的新しいアパルトマンの物置は、地下に駐車場と共に纏めて作ってある所もありました。私の借りたモンパルナス駅近くの古い石造りのアパートでは、室内の物置だけで各戸別の物置は有りませんでした。シテ島に有った上司コマ―先生の家では、その中が埃だらけだからと見せてはもらえませんでしたが、地下に物置があってワインもそこにしまってあると言っていました。この映画の中の納戸はどんな所なのでしょうか?

時間を作って見に行きたい内容の映画のようですね。本にもなっています。(アマゾンにリンク)
この記事が、遠まわしにストーリーを離さないように書いているのが解ります。

ネタばれですのでリンクは避けますが、読後感想を書いたブログもありました。(知るということは、せめてもの犠牲者への弔いになる。そして忘れないことは過去の過ちを繰り返さないためにも必要なことだ。)このフレーズで検索するとネタばれですが、上記の優れた
内様の感想文が見られます。

追記:12月4日:本の方もお勧めです。子供に渡しましょう。

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