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2011年11月7日

2785 運行が止まっている仙石線の代行バスで津波後の現地を見てきました。高城町ー東名浜ー野蒜ー矢本

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仙台に行く用事が有ったので、足を延ばして松島海岸から矢本までの津波の被災地を見てきました。

まず仙石線を松島海岸で降りて代行バスに乗ります。その乗客は約20人程度。

五大堂や瑞巌寺辺りの土産物屋さんは、日曜でも有りそれなりの人出。壊している建物や、壊したあとを駐車場にしたところもありましたが、ほぼ正常な様子。松島海岸の道路は結構な渋滞。

松島の大きなホテル群は営業しているようでしたが、にぎやかな雰囲気はなし。

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この先、吉田川までは山に入る国道と、海沿いの仙石線が離れます。バスは海沿いに鉄道に近い方に行きます。道路の海側の水田は今も水が漬いて居て、地盤沈下の影響が伺われました。その中を代行バスは30キロぐらいでそろそろと進みます。

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海水浴で知られた東名浜と野蒜海岸では集落に人気もなく、家もほぼ全壊しています。8割方の家は既に解体されて更地になっています。その中に砂をかぶった線路が寂しく取り残されてました。あたかも雨が降り出して寂しくなり、早くも仙台に帰る術を考え始めました。駅の廃墟の前のタクシーは一台のみ、他の方が乗ったのであきらめてバスで終点矢本駅へ。

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やがて、道は川沿いに出て鳴瀬川と吉田川が平行して流れるその上流に向かいます。川を渡ると小野。この辺も川沿いに津波はかなり上流まで上ったそうです。この辺の田んぼは今年は稲作をしなかったと見えて枯れた雑草に覆われています。道路沿いには閉じたままの食堂などが多数有ります。

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この道の右側遠くに松林が見え、その手前には自衛隊の松島基地の滑走路が有るはずです。院大学生だったころは、石巻日赤に診療に行った帰りに車を道端に止めて、ブルーインパルスの訓練を見上げたものでした。それはもう30年も前のことです。その昔は「一日一善の町」と道端に標語が書いてありましたが。

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やがて交差点を左折して、矢本駅に到着。ここは東松島市です。そこから先の仙石線は走っているようでした。喫茶店も有りませんでしたが、幸いここには5台くらいのタクシーがあり、久しぶりに人のにおいのする「町」でした。

バスでは帰るのにまた一時間もかかりそうでしたし、余りの寂しさに。ここからはタクシーを頼んで松島海岸まで送ってもらいました。タクシーの運転手さんとの会話でやっと人心地が付きました。今後、鉄道は少し山側に移して再建する予定なのだそうです。

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昔、日曜日の度に出かけた奥松島や七ヶ浜などはどうなっているのでしょうか?石巻は2011年11月1日を以て観光を再開したというポスターが仙石線の電車には出ておりました。

早く復興し、さらに発展してくれるとよいと思います。

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午後の眼科の会では同級の岡部先生(左)と大村先生(左から2人眼)に山本医学部長を紹介していただき、ミーハーにも写真を撮らせていただきました。医学部長からは、「東北大学医学部は震災復興より一歩先への躍進を目指している」という頼もしい声を聞いて来ました。医学部長は私より卒業年次が一年下の方でした。新しい眼科主任教授も41歳。世代の交代も感じました。

追記:時あたかもこの場所にはこんな人生もあったのかと思わせる記事に出会いました。
「命ある限り夫、娘、息子が生きた証しを残したい――。津波で家族3人を奪われた看護師が訴える「心の復興」 ――宮城県の看護師・尾形妙子氏のケース」
志半ばで亡くなったこの助産師を目指していた娘さんは、東北大学に籍を置いておられたのではなかったのでしょうか?(ダイアモンドの記事にリンク

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