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2011年9月6日

2574 魚の眼(め)のするどくなりぬ秋の水

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今日の”眼”のニュースは俳句です。

ーーー毎日新聞 2011年9月3日 東京朝刊ーーー

季語刻々:魚の眼のするどくなりぬ秋の水

 ◆昔

 ◇魚の眼(め)のするどくなりぬ秋の水--佐藤紅緑(こうろく)
 昨日の「水澄んでとんがつてきし魚かな」(知子)は魚の体つきを表現していたが、今日の句は目つき。秋の水中の魚は目つきが鋭くなると紅緑は言うが、ホント?

 季語「秋の水」は「水澄む」とほぼ同じ。水が澄むので目つきがはっきりし、鋭いように感じるのか。そういえば、とぎすました鋭い刀を秋水と呼ぶ。<坪内稔典>

毎日新聞 2011年9月3日 東京朝刊
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佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 – 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、詩人

略歴・人物:本人の意に反して執筆する事となった「少年小説」の分野で昭和初期に圧倒的な支持を受け、「少年小説の第一人者」として知られる。作詞家で詩人のサトウハチロー、作家の佐藤愛子、脚本家で劇作家の大垣肇の父(3人とも母は異なる)。ただし、肇は愛人の子供であり、同居はしていない。

1874年(明治7年)、青森県弘前市親方町に、父弥六・母支那(しな)の次男として出生。本名洽六。父の佐藤弥六(1842年 – 1923年)は、幕末に福沢諭吉の塾(慶應義塾)で学び、帰郷して県会議員となり産業振興に尽力、弘前を代表する人物だった。

1906年(明治39年)から1914年(大正3年)まで、新派の本郷座の座付作者を勤める。
女優横田シナ(後、三笠万里子と改名)を見初める。1918年(大正7年)、妻はるとの別居などを経て、1922年(大正11年)、万里子と結婚。妻・三笠万里子を女優として売り出そうと、劇団活動を行うが、「紅緑にとりいって主役の座を得た」との悪評により、成果はでなかった。万里子は、妊娠・出産により女優を断念する。

1949年(昭和24年)6月3日永眠。享年75。晩年の紅緑は、少年たちに理想を説く小説を書き続けたが、皮肉にも、別居していた肇以外の、長男ハチローをはじめとする4人の息子たちは、すべて道楽者の不良少年・不良青年となった。ハチローは詩人として成功したが、他の3人は、乱脈な生活を続けた生活無能力者で、破滅的な死に方をした。紅緑は生涯、彼らの借金の尻拭いをし続けた。その有様は、娘・愛子の小説『血脈』に描かれている。
(以上がwikipedia の概略です)
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双牛舎類題句集を見ると

眠りたる目を洗はばや秋の水   向井去来
盲(めし)ひたりせめては秋の水音を   高浜虚子
すかし見る藪の中なる秋の水   高浜虚子

など秋の水を含む句には、眼に関連した句も散見されます。
秋は眼の季節でもあります。(図は眼の愛護デーのポスター)

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