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2011年9月1日

2564 無名の「美」見出した柳宗悦の世界―松屋銀座で展覧会

無名の「美」見出した柳宗悦の世界―松屋銀座で展覧会:という記事です。
2011/8/31 12:04

なんというシンプルさ、そして純粋さでは有りませんか?。これが今日の”眼のニュース”で、「柳宗悦展―暮らしへの眼差し―」に眼が出てきます。
ーーーー記事の引用ーーーー
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画像は江戸時代の「木喰仏」。柳の紹介によってその存在が世に認められた

名もなき職人たちが作った日用品や、民間に埋もれた仏像など身近にありふれた品の中に「美」を見いだし、その紹介に努めた柳宗悦。その没後50年と、柳が設立した日本民藝館の開館75周年に当たって、松屋銀座では「柳宗悦展―暮らしへの眼差し―」を2011年9月15日~26日にかけ開催する。

柳宗悦の「眼」を切り口として、彼が愛した身の回りの品々や朝鮮、琉球、アイヌなどの民芸品、彼が発掘した江戸時代の「木喰仏」など展示。また息子でプロダクトデザイナーとして活躍する柳宗理の作品も取り上げ、およそ250品の展示から柳が推し進めた「民芸運動」の歩みを振り返る。

会場は松屋銀座8階イベントスクエア。入場料は大人1000円、高大生700円。チケットぴあ、ローソンで前売り券を発売する予定。
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Wikipediaによると、
木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家。

日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。

木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、無駄を省いた簡潔な造形の中に深い宗教的感情が表現されており、大胆なデフォルメには現代彫刻を思わせる斬新さがある。日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。

また、木喰の存在は、没後1世紀以上の間、大正期に入るまで完全に忘れ去られていた。木喰を再発見したのは、美術史家で民藝運動の推進者であった柳宗悦(やなぎむねよし、1889年(明治22年)~1961年(昭和36年))であった。柳は1924年(大正13年)1月に山梨県池田村(現在の甲府市郊外)村長で郷土史研究者の小宮山清三の自宅を訪れ、小宮山家所蔵の李朝陶磁器の調査をしていた際、偶然に同家所蔵の地蔵菩薩像、無量寿菩薩像、弘法大師像の3体の木喰仏を見出し、木喰仏の芸術性の高さに打たれたという。

当時は木喰の存在や木喰仏の先行研究や評価はなされておらず、柳は小宮山から地蔵菩薩像を贈られると、半年の間に懸案であった朝鮮民族美術館を京城(ソウル)で開館させた。

小宮山らの協力を得て木喰仏の調査研究のため、木喰の故郷である丸畑をはじめ日本各地を調査することになる。同年だけで300体以上の木喰仏を発見し、木喰仏の墨書銘や、納経帳や宿帳など自筆文書の発見により断片的な木喰の足跡が解明され、小宮山や山梨日日新聞社長の野口二郎らと雑誌『木喰上人之研究』を発刊する。柳は1926年まで木喰研究を行い、その後は民藝運動に専念している。『全集第7巻 木喰五行上人』(筑摩書房)に集成されている。

というのだが、最初にこの仏を作った人も偉いし、それを見出した人も大したものであると思います。同時に骨董の世界には木喰まがいもきっと多いのでしょうね。

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