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2011年8月3日

2493 幕末維新の暗号  (加藤将一 著) を読んでいます。

books幕末維新の暗号  加藤将一 を読んでいます。
祥伝社, 2007 – 453 ページ
明治天皇は南朝の流れを組む人物が途中で差し替えられていたと言い、その差し替えには秘密結社フリーメーソンの陰謀があったとする与太話なのですけれど、小説なのか、ノンフィクションなのか引き込まれるうちに、読んでいてわからなくなります。

歴史作家・望月真司のもとに届いた一枚の古写真。それは幾度となくマスコミにも取り上げられた、いわくつきの代物だった。被写体は総勢四十六人。書き込まれた名前によれば、坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、岩倉具視、大久保利通、中岡慎太郎、伊藤博文、さらに桂小五郎、勝海舟…と幕末の志士たちが勢ぞろいしていたからだ。荒唐無稽―だが、まがい物と片づけられてきた写真を仔細に検証すると、被写体と実在の人物が次々に合致していった。この古写真はなぜ撮影され、そして歴史の彼方に葬り去られたのか。謎を追ううちに、望月は写真に込められた「秘密」に突き当たる。それは明治政府の重大なタブーに触れるものだった。吉野、佐賀、長崎、鹿児島、山口県柳井―徹底的な取材と綿密な史料分析から解き明かす、驚愕の幕末史。(「Google ブック検索」より)

ishin

まず、これが最初の写真です。そして、

ishin02
これはやや少ない別のメンバーで撮った物。
長崎で撮られたのか? 江戸で撮られたのか?時代は慶応か明治か?
引きこまれます。

Wikipediaを引いてみると、確かにこの写真は時々奇妙な取り上げられ方をしたようです。

フルベッキ写真

フルベッキ写真「フルベッキ写真」とは、フルベッキとその次女・エマ(夭逝した長女と同名)を囲んで、致遠館の塾生と岩倉具定・具経兄弟などが集まり、写真師上野彦馬によって撮影された写真。現在の研究では、撮影時期は1868年12月(明治元年10月-11月)頃とほぼ特定されている。

この写真は古くから知られており、1895年(明治28年)には雑誌『太陽』で佐賀の学生達の集合写真として紹介された。その後、1907年(明治40年)に発行された『開国五十年史』(大隈重信監修)にも「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」とのタイトルで掲載されている。

1974年(昭和49年)、肖像画家の島田隆資が雑誌『日本歴史』に、この写真には西郷隆盛・高杉晋作・勝海舟・坂本龍馬・大隈重信らが写っているとする論文を発表した(2年後の1976年にはこの論文の続編を同誌に発表)。島田は彼らが写っているという前提で、写真の撮影時期を1865年(慶応元年)と推定。佐賀の学生として紹介された理由は、敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であり、偽装されたものだとした。

この説は学会では相手にされなかったが、一時は佐賀市の大隈記念館でもその説明をとりいれた展示を行っていた。また、1985年(昭和60年)には自由民主党の二階堂進副総裁が議場に持ち込み、話題にしたこともあったという。(中略)

この写真の話題は間歇的に復活して流行する傾向がある。ちなみに最初に島田が推定した維新前後の人物は22人であったが、流通する度に徐々に増加。現在では44人全てに維新前後の有名人物の名がつけられている。(中略)

また、大室寅吉という名で後の明治天皇が写っているとした説や、「明治維新は欧米の勢力(例:フリーメイソン)が糸を引いていた」説等の陰謀論、偽史の「証拠」とされる例もある。
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ちなみにフルベッキは、
グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck、或いはVerbeek、1830年1月23日 – 1898年3月10日)でオランダの法学者・神学者、宣教師。長崎で英語を教え、のちには東京で開成学校(後の東京大学)講師などを務めている。

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