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2011年7月31日

2484 震災による「災害時の緊急対応の経験」という話を聞きました(印象記)

第10回53病診連携研究会(53開業医の会)が平成23年7月30日(土)6時からホテルメトロポリタン仙台で「災害時の緊急対応の経験」というテーマで行われ、東京では当医院の中待合室を会場にその映像をスカイプで映して公演を聞くという昭和53年卒業クラス同級会の東京部会を行いました。

演者は:相馬中央病院 副院長 標葉隆三郎先生、あねは産婦人科クリニック 院長 那須一郎先生、仙台市立病院院長 亀山元信先生です。

その印象記をここに記しておきます。

1、標葉隆三郎先生は地震当時に南相馬市の渡辺病院院長をしておいででしたが、地震、津波に続く原発事故の影響で院長を務める病院を3日程度の短い時間で閉院するという経験をされました。発表に依りますと、原発事故が起きて避難区域が拡大されてゆくにしたがって、医師を除く病院職員の多くが、あっという間にいなくなってしまったそうです。病院と言うところは入院患者に対する責任がありますが、全員参加型のマニュアルを作っても、非常時にそれは役立たなかったそうです。また、災害時に入院患者の家族も家族を引き取りには来られませんから、その転入院先は院長の知り合いの会津の病院に頼み、移送車両も直接自衛隊に交渉して4名の臥床患者を同時に運べる特殊車両7台出してもらって辛うじて移送したのだそうです。
私は一般職員に対しても、医療従事者にはいつでも医療を提供し続ける義務があるのだということを意図的に説き続けないと、それを理解させ定着させることは難しいのかもしれない(或いはかなり困難である)と感じました。

2那須一郎先生は複数の入院中の妊産婦を抱えての震災と津波への被災でした。ガスボンベ式小型発電機でサクションを動かし、吸引分娩を完遂出来たそうです。親水地域に残された重症患者は、熊本県のヘリコプターが暗くなってから転院をさせてくれたのだそうです。スライドでは浸水地域のこの医院では水、食料、衣類のうち、特に食料が無くて苦労したとおっしゃっておいででした。彷徨いこんできたポニーを食おうかと本気で思うほどであったという下り、騎兵隊の様に熊本県の救助ヘリが登場した場面、それにドアを開けてみたら津波で流されてきた自動車が医院の玄関に突っ込んできていたという場面には少なからず感動しました。時間を要すことでしょうが、これからの医院の再建にエールをお送りいたします。

3、亀山元信先生は震災発生当時は仙台市立病院の救急担当副院長、そして地震後の大変な時期に院長に昇進されました。地震の直後には私(清澤)も亀山先生から仙台市立病院の状況を私のパソコンアドレスから53会メーリングリストに伝えてほしいという依頼もお受けし、そのメールを流すお手伝いをしました。あの時はまだ亀山先生の今回のお話の内容の中では、やっと事態が始まろうとするところだったのですね。騒ぎの中で亀山先生が同級生の絆を忘れないでいて下さったことも忘れられません。
最初の亀山先生からのメールは、仙台市の死者が1000人、県内で10000人と言う驚くべき数である事を現場から伝えた生の声でしたが、マスコミ発表よりも19時間も早くこの惨状の実態伝えたものであったと記憶しています。(調べてみますと、亀山メール第一報は2011/03/13 (日) 1:36、TBSは2011/03/13(日) 20:46でした。)
 病院は屋上の煙突が低層階に向けて崩れかけ、手術室などを使うことができませんでしたが、基本的な病院機能を残すことのできたこの病院には11チームのDMATも有効に入り、重症度別に4色を分けるトリアージュを施し、県内各地からの予約なしの救急患者多数を受け入れられたのだそうです。緊急の訓練をしていたことは有効であったが、大災害時にマニュアルは役には立たずということでした。
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注)
DMAT ディーマットとは

災害派遣医療チーム   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

災害派遣医療チーム(さいがいはけんいりょうチーム)とは、医師、看護師、業務調整員(救急救命士、薬剤師、放射線技師、事務員等)で構成され、地域の救急医療体制だけでは対応出来ないほどの大規模災害や事故などの現場に急行する医療チーム。
Disaster Medical Assistance Team の頭字語「DMAT」(ディーマット)でしばしば呼ばれる。

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