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2011年7月10日

2424 作家 吉村昭の最後を妻の作家が書いた作品が出版されるそうです。

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このところ私は偶然にも吉村昭のいくつかの作品に接し、その読後感をこのブログに報告してきましたが、彼の死後5年の今、作家であり妻である津村節子(83)が小説「紅梅」に著しているそうです。この『紅梅』は、7月下旬に文芸春秋から刊行されるそうです。

今、三陸海岸大津波や関東大震災を始め、今の日本が直面している苦難をその前の時点で的確に予想し、綿密な調査に基づいて記録した作家が注目されています。

その記事がネットに出ていました。(記事にリンク)

ーー引用開始ーー
夫・吉村昭の最期、死に物狂いで書く 津村節子「紅梅」2011年7月8日10時21分

 吉村昭が亡くなり、まもなく5年になる。がん闘病の末に自ら死を選んだ姿を、作家であり妻である津村節子(83)が小説「紅梅」(文学界5月号)で初めて描いた。尊敬する作家として、愛する夫として半世紀以上「ふたり旅」を続けてきたパートナーの死は重く、一時は筆を断つことさえも考えた。自らの体験を掘り下げていく作家のまなざしが、苦悩を深めていた。しかし、悲しみを乗り越えさせてくれたのも小説を書くことだった。 「育子、/眼(め)を覚ますといない。/細いペンで書かれたその文字の錐(きり)のような先は、今も育子の胸に突き立ったままになっている」(「遍路みち」)

 吉村の死後、3年ほど小説を書けないでいた。編集者にせき立てられ、自らを託した「育子」を主人公にした「遍路みち」を書いた。死の場面は生々しすぎて書けず、吉村の死後出かけた四国の霊場巡りを題材にしている。

 「十全に看護ができた人でも悔いると思いますが、私は約束をしていた仕事があったため、その仕事をせざるを得なかったのです。病室で目覚めてからの夜を吉村がどういう思いで過ごしたのか、と、悔いて悔いて……」

 苦しい罪の意識を、私小説作家の目は冷徹なまでに分け入る。

 「仕事を優先させている妻をかたわらに、夫は凍るような孤独を抱いて死んだに違いない。(中略)会える筈(はず)のない夫に詫(わ)びを言いたいという思いが、幻聴になったり、家の近くの角に夫の姿を見たりするのだろうか」(「声」)

 「遍路みち」「声」に続く「異郷」(3点とも講談社『遍路みち』所収)では、罪の意識の源である作家であることが問われる。

 津村にとって私小説を書くということは「岩盤を掘削し、どこに通じるかも分からない穴の奥に入っていく」ことだという。書き上げるまでどうなるか分からないまま、自らの体験を見つめる。

    ◇

 「夫は、胸に埋め込んであるカテーテルポートを、ひきむしってしまった。育子には聞き取れなかったが、/『もう死ぬ』/と言った、と娘が育子に告げた」「延命治療を望んでいなかった夫の、ふりしぼった力の激しさに圧倒された。/必死になっている看護師に、育子は、/『もういいです』/と涙声で言った」(「紅梅」)

 「紅梅」では、治療を拒否し死に至る様子を自ら初めて描いた。「つらい時期を思い出し、書きたくなかったのですが、死にものぐるいで書き終えたことで、やっと気持ちの整理がつきました」

 吉村は幕末の蘭方医(らんぽうい)・佐藤泰然が死期を悟り、医薬を断って死を迎えた姿を理想とし、病床の日記にも記していた。

 「吉村は作家らしく、死に方まで自分の思い通りにしました。残される者のことも考えずに本当に勝手です……。でも、私が私小説作家だと知っているから、甘えたり、愚痴を言ったり、弱った姿を見せられなかったのではないかとも思います。死後3年は小説にするな、と遺言に残しているのは、私がきっと書くということを強く意識していたということです」

 亡くなる瞬間の吉村に向かい、津村は「あなたは、世界で最高の作家よ!」と叫んだという。「紅梅」のなかで主人公の育子は(愛しているわでも、私もすぐ行くから待っててでもない)「そんな言葉を、夫は喜んで聞いただろうか」と自問する。

 作家として、夫婦としての半世紀を超す歩みに裏打ちされた私小説の一つの達成がここにはある。

 『紅梅』は7月下旬に文芸春秋から刊行される。(加藤修)
ーーー引用終了ーーー

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