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2011年6月26日

2382 アメリカが畏怖した日本 真実の日米関係史 (渡部昇一著)を読みました

ISBN978-4-569-79667-3

知的生活の方法の著者として有名な著者の最近の著作です。現在の日本は元気を失って、米国にも中国にもやられっぱなしであるが、かつて日本にも米国をして畏怖せしめた時代があったというお話。第二次世界大戦で連合国に枢軸国が勝つチャンスがあったとは思われないけれど、米国を中心とする連合国は枢軸国を食うためにそれなりの犠牲も払い、勝利を得たというのは歴史的な真実であろう。

目次にそってその概要と読後感を記入してみよう。

第1章 「騎士道精神」がなく、常に自分たちを正義と考える国
第二次世界大戦後世界に君臨した米国やロシアには中世の経験がなく、勝者が正しいという理屈を敗者に押し付ける伝統があると著者は言います。それはインディアンから土地を取り上げた米国の歴史にも基づく伝統であると。

第2章 ペリー来航がもたらした友好的な出会い
米国がメキシコからカリフォルニアを奪い取って5年後にペリーは浦賀に来航した。米国は日本に対する野心はいまだなく、狙いは中国であった。米国が持っていた産品は銀、毛皮、ニンジンで中国のほしがるものであったという。日本に対するペリーの姿勢は砲艦外交ではなかった。そののち米国は大統領も変わり、南北戦争に突入して日本に対する外交を行う余裕をなくしてゆく。

第3章 アメリカが畏怖した日本
明治31年米国はハワイ王国の併合を完了する。日清戦争に対する米国の認識は遅れた国同士の局地戦というものであった。清から割譲を受けた遼東半島は軍備を整えて襲いかかる準備のあるヨーロッパ3国による干渉によって返さざるを得なかった。北清事変をきっかけに日露戦争へと付き進む。ロシアと対立するイギリスはこの当時ボーア戦争を南アフリカで戦っており、中国で日本の助力を必要としていた。これが日英同盟の成立した理由で有る。講和において米国は概ね日本に好意的で有ったが、日本海海戦の日本の勝利は米国をして日本を恐れさせた。南満州鉄道の敷設に米国人ハリマンを参加させなかった決断の直後に、米国では排日運動がおこった。

第4章 絶対的排日移民法とブロック経済が導いたもの
日露戦争以後のアメリカは一方的に対日関係悪化の道を突き進む。最初に中国に入った東洋系に移民は日本人ではなくシナ人であり、大陸横断鉄道の建設に従事した。シナ人は差別を受けたが清国政府にとってシナ人は被征服民族であり特段の抗議を米国に対してしなかった。1913年(大正2年)カリフォルニア州は日本人の土地所有を禁じ、大正9年になるとアメリカ国籍を持った日系人にも土地所有を禁じた。アメリカが主導して大正10年に開かれたワシントン会議ではイギリス5、米国5、日本3という軍艦の比率が決まったが、この時、日英同盟も米国の希望に沿って廃棄された。こうして大恐慌におびえる日本は止むを得ず満州への進出を強めた。満州の治安はよく、中国人にとっても悪い環境ではなかった。

第5章 日米開戦「回避」の道を閉ざしたもの
反日、親シナ感情が高まったのには理由があった。米国政府は日本に対して共産国ロシアに対して抱くよりも強い反対の感情を持っていた。上海事件では日本軍は中国に進軍したが、いわゆる南京事件という日本人による市民の多数の虐殺はなかったのではないか。その後、重慶に移った蒋介石は日本との戦いが始めた。蒋援ルートをふさごうとした日本は昭和15年に北部仏印に軍を勧めるが、米国は昭和16年に日本軍が南部仏印に進駐する直前に日本の在米資産を凍結し、石油の輸出を禁じた。

第6章 対米戦争に勝つチャンス
この章ではガダルカナルに戦艦大和を出していたら、とかミッドウエーに大和を出していたら、と言った「もし」が論じられているが、それはあまり意味のある議論ではなさそうである。戦争の勝ち負けはわずかなことで決まると述べられているが、確かに硫黄島で米軍は多大な被害を出している。

第7章 東京裁判と戦前の日本は悪の刷り込み
著者は、ポツダム宣言の受諾は無条件降伏ではなく、記載された条件が付いた幸福であったと言います。戦後ドイツのニュルンベルグ裁判に倣って東京裁判が行われた。この裁判は今までになかったような理不尽なものであったので、東京裁判では米国人弁護人の活躍が見られた。しかし、戦前の日本が侵略を行ったという東京裁判史観は強力に日本人に刷り込まれた。戦前の日本で力を持っていた人々に公職追放が行われた。しかしその中で「戦前の日本は悪かった」と主張して機を得た「配線利得者」も多かった。

第8章 五十年不動の改定日米安保の枠組み
米国のGHQは日本を25年くらい占領して小国にとどめようとしていたが、1950年(昭和25年)を境に状況が変わる。朝鮮戦争で、米軍は朝鮮半島から追い落とされそうになり、朝鮮への逆上陸を行った。米国は第3次世界大戦の恐れを感じてマッカーサーを解任した。朝鮮戦争で特需が生じ日本の景気が良くなったが、それは米国の対日政策が変わったのである。その後、日本はサンフランシスコ講和条約で主権を回復し、残されたA級戦犯はすべて許されて、その多くは日本の主要な政治家として活躍した。安保の改定をなした戦後最大の政治家岸信介はそうした政治家の一人であった。

第9章 今こそ、サンフランシスコ講和条約に戻るとき
良好な対米関係を維持しながら日本は経済成長を実現し、世界第二の経済大国となった。また、安定勢力としてアジアに重きをなした。その象徴的な出来事が昭和47年に沖縄が返還された。ロシアを除く講和であった講和に反対したのは先の「敗戦利得者」達であり、共産党の影響を受けた人々で、日本の占領体制にむしろ好感を持つ人々だった。今の日本では外務省さえもが中国のいいなりである。今の日本に必要なのは、中国に対する日本の安全保障のために「米国をいかにに使うか」を考えることである。
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清澤のコメント:
保守系の論客である渡部昇一氏の真骨頂です。
排日の嵐の中で、第二次大戦に追い込まれてゆく日本、そして敗戦を迎える日本。それが共産圏諸国の興隆に対する防波堤として世界第二位の経済力を持つにいたる。中国本土も満州も米国の思惑とは違って共産圏になってしまった。世界の動きは強い米国だけが勝った歴史ではないのですね。今後の日本のゆく道はどうなるのでしょうか?

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