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2011年6月17日

2352 ただ血は沸るなり、眼は燃ゆる也。快き哉:”今日の眼に関する言葉”

石川清澤のコメント:

ただ血は沸るなり、眼は燃ゆる也。快き哉:なんとも健全な若者の言葉のように見えますが、”今日の眼に関する言葉”にはこれを選んでみました。石川啄木の手紙の中の言葉だそうです。

isikawa石川啄木 には「限りなき知識の欲に燃ゆる目を 姉は傷(いた)みき 人恋うるかと」というのもあるらしい。さらに”燃ゆる”と眼に関連しては

ぼうぼうと燃ゆる目刺を消しとめし, 中村 汀女.などというのもありましたが。これはそれほどでも。

戦争が始まる時の多くの国民の気持ちというのはこのように、戦争の始まりをよろこぶ物のようです。それは、経済が落ち込み、世相が暗くなってしまうと、それに対する光明はそこにしかないと思い込んでしまうからのようです。

今次震災後の日本が、関東大震災の後の時のような道をたどらぬことを願います。

ーーー引用開始ーーー
【次代への名言】
雨ニモマケズ編(45)
2011.6.16 02:50
 ■「私は、実は、好きじゃあないのです。世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方が、ずっと、好きです」(夏目漱石)

 「銭形平次」の生みの親、野村胡堂(こどう)には二つの“家宝”があった。

 一つは《ただ血は沸(たぎ)るなり、眼は燃ゆる也。快(こころよき)哉(かな)》と日露開戦に興奮する様子を伝えてきた旧友の詩人、石川啄木の手紙である。もう一つは、夏目漱石が親友の正岡子規にあてた書簡。帝大(東大)での学生生活がいやになり、試験を放棄してふてくされている子規に「是非(ぜひ)帰って来いと懇々(こんこん)と勧めたもの」だ。

 その漱石の自宅を、新聞記者・胡堂が訪ねることになった。

 《博士号を辞退したり、西園寺(公望(きんもち))公の招きを蹴(け)飛ばしたり、盛んに問題を起して居(い)たので、訪問する前には、相当ビクビクものであつたが、一度此(この)人(ひと)に接して、私はその杞憂(きゆう)をさらりと捨てゝ、幾分甘へた心持(こころもち)で何彼(なにか)と個人的な質問まで持出したものだ》

 漱石は《まことに胸のすく座談家》だった。国民文学『吾輩は猫である』の作者が、あにはからんや、“猫ぎらい”。うちとけた雰囲気から、そんな冒頭の逸話も飛び出したのだろう。

 胡堂が《きもに銘じた》という漱石のことばがある。文学の流行が「新傾向から新傾向へと猫の目のように変わる」ことが話題になったとき、漱石は断じた。「あれは、内閣が変わるのと同じようなもので、そんなことに気を散らさず、自分は自分で、しっかりした考えを持っておればよい」(文化部編集委員 関厚夫)

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