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2011年6月5日

2322 深海の使者 (吉村昭)を読みました

この本は1976年に刊行された本を底本としています。第二次世界大戦中に、日本とドイツを結ぶ道を求めて派遣された5隻の日本海軍潜水艦のノンフィクションです。結論としては無事に日本に帰着できたのは伊8号一隻のみだったのですが、その結末の説明は作者がこの本を書いた時と現在ではずいぶん変わっているようです。

つまり、この本が書かれた当時には一隻は生還でき、他の船は奮闘虚しく沈没させられたという解釈だったのです。が、その後の米軍からの公開資料を見ると、米軍は日本軍の暗号を完璧に解読していて、日本の潜水艦の位置や搭乗者の名簿までもを完全に把握していて、駆潜部隊に待ち伏せ攻撃をさせて、撃沈を繰り返していたということだったようです。

別のページに有った記載をまとめてみますと、5隻の訪独潜水艦とは

第一次 伊30号 艦長 遠藤忍少佐 1942年4月17日呉発。 8月5日ロリアン基地着。10月13日シンガポール着。独暗号機を揚陸。午後出港。触雷し沈没。期待の電探は爆発の衝撃で破壊。エリコン機銃などが引き上げられるにとどまった。
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第二次 伊8号 艦長 内野信二中佐 1943年6月1日呉発。 8月21日ブレストに入港。 10月5日ブレスト発。  12月21日呉帰港。 唯一の生還艦。
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第三次 伊34号 艦長 入江達中佐 1943年9月13日呉発。 10月22日シンガポール着。独に提供する資源を搭載。 11月11日シンガポール発。同13日マレーシアペナン入港直前に英潜水艦 Taurus の雷撃を受け沈没。生存者14人。
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第四次 伊29号 艦長 木梨鷹一中佐 1943年11月5日呉発。 同14日 シンガポール着。 必要な資源物資を搭載し 12月16日シンガポール発。 1944年3月11日ロリアン基地着。 独の敗色が濃厚なため出港を早め4月16日ロリアン発。7月14日シンガポール着。7月22日シンガポールを発し日本に向かった。 7月26日夜ルソン島北方海域で米潜3隻の挟撃を受ける。魚雷4本の内3本が命中。乗員2人が救助されたにとどまった。
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第五次 伊52号 艦長 宇野亀雄中佐 1944年3月10日呉発。 同21日 シンガポール着。同23日シンガポール発ロリアンに向かった。 6月23日大西洋で独潜U-530と会同。電探逆探装置取付。入港先調整中24日、米護衛空母 Bougue 艦載機により、ヴェルデ(Cape Verde)岬(アフリカ大陸最西端現セネガル)西方で撃沈された。
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清澤のコメント:
このところ船や戦闘艦の話題に少し嵌っています。先日の明治丸の話題などもそれです。

話をこの遣独潜水艦に戻しますと、山本五十六の搭乗機が撃墜された時と同様に日本側の意図に拘わらず日本側の情報はすべて筒抜けで有ったというところがいかにも悲しいです。情報というものに関する重要性の認識の日米差にも、また電波兵器レーダーなどの技術力の圧倒的な差というものもいまさらながら痛感させられました。

なお、太平洋は広く、大西洋はそれに比べて狭い為、ドイツは700トン程度のユーボートを多数作って英米の通商破壊を潜水艦部隊の目的とし、これに対して日本は3000トンクラスの大きな潜水艦を作って水上の戦闘艦船との戦いを潜水艦に求めたということのようです。

フランス在住の頃、ブルターニュ半島とノルマンジー地方をめぐる自動車旅行をしたときにかつてはドイツ潜水艦の母港があったロリアンの町を通ったのも思い出されました。

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