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2010年8月21日

1608 アルゼンチンのエブナーさんからメールが来ました

モトヒロ、僕は君の写真のついたアズールのページを見たよ。こうして(写真だけでも)君とまた会えるとは素晴らしい。どうしているかね?アズールの症例の研究をしているの?僕はドイツ製だけれど局所ERGの機械を持っているよ。それを使って診療するのは楽しいね。僕はアズールの症例は2例持っている。君は局所網膜電図でアズールを調べた症例を持っているかい?敬意を込めて、ロベルト

Motohiro, saw an article on AZOOR associated with your picture, was nice to see you again (at least in a picture), what are you doing?, working on AZOOR?, I have a multifocal erg (German-ROland) and have much fun using it, have 2 AZOOR cases, do you have any experience in mf-erg & azoor?
Best regards, Roberto

清澤のコメント:
古い知り合いから思わぬメールを頂けるのもこのブログの御蔭です。スペイン語の画面のはずですが、画面をキャプチャーした画像には日本語の文字が文字化けせずに出ています。

東京で国際神経眼科学会が行われた2年前には、アルゼンチンで国際神経眼科学会が行われました。その会長をされたのがロベルト・エブナー先生です。その会の前年には、会の打ち合わせなどでブエノスアイレスに呼んでもらいましたので、アルゼンチンには都合2回行きました。

デモ
翌年のアルゼンチンの国際神経眼科学会は、アルゼンチンの国家破産と首都の暴動の直後に重なり、運営にも随分苦労をされたようでした。あえて出かけて行ったドルを持つ日本人には物価がとてつもなく安く感じられたものでした。政情不安を予想されて日本からの参加者は私も含めてたったの3人程度。(写真借用、上と中)

劇場

日本から見ますと、今のアルゼンチンはサッカーとか牧畜くらいの国に見えますが、第2次大戦前あたりには農業が巨万の富を産み、世界でも最も豊かな国だった時代がありました。その頃の名残でオペラハウスなどは素晴らしいものがあります。

peron
貧しい中から這い上がって大統領夫人にまで上り詰め、国民に愛されたエビータの墓地も忘れられません。エビータは私生児であり、愛人の地位であったなどの事情で、ペロン家の墓地ではなく彼女だけのドゥアルテ家の墓に埋葬されているという説明でした。

マドンナが主演をした映画などでご存知の方も多いでしょう。

ーーーエビータの一生ーーー
エビータは、1919年アルゼンチンの寒村に私生児として生まれ、エバ・マリア・ドゥアルテと名づけられた。幼い頃から貧困とその惨めさを嫌というほど味わってきたエバ。貧しさゆえ、私生児ゆえに蔑まれた経験は、彼女の中で中流階級への敵意となった。

1934年エバ15歳。生まれ故郷のナイトクラブで知り合ったタンゴ歌手と共に、都会ブエノスアイレスに出る。野心を抱いたエバは、男から男へと渡り歩きながら人生の階段を登っていく。福祉大臣ペロンと出会い、意気投合。

1946年、労働者の心を掌握したペロンは大統領に就任、エバも念願のファーストレディの座を手に入れる。26歳の若さでファーストレディの座に就いたエバは、ヨーロッパ各地を国際親善に訪問する。帰国したエバは、「エバ基金」を設立し、金持ちから容赦なく金を取り立て、貧しい人々にばらまいた。

悪名高い「エバ基金」等によりアルゼンチン経済は破綻し批判の声が高まる。エバの野心はとどまるところを知らぬが、その時、彼女はすでに癌におかされていた。
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先に紹介した”モンパルナスのキキ”とも重なるような、一面華やかで、反面哀愁にみちた人生です。

さて、エブナー先生は私よりは少し年長ですが、アルゼンチン生まれのユダヤ人。イスラエルにも移住したことがあるのだそうです。アラブとの戦争にすべてが影響されるのに辟易としてアルゼンチンに戻ったとおっしゃっていたのが印象的でした。

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