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2010年8月11日

1591 前号で紹介したマン・レイ展を見てきました。

man ray前号で紹介したマン・レイ展を見てきました。娘に付き合ってもらって、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のパリや戦後のヘミングウェイが住んだパリの風を十分に感じてきました。最近の展覧会ではヘッドホンがあるので手短にかつ十分な説明を拾いながら回ることができます。

マン・レイの肖像写真。ガラスの割れたところも作品にするシュルレアリズム。

(マン・レイ展はそんなに混んではいませんでしたが、同時開催のオルセー美術館展は大変な混みようでした。というわけでセザンヌは次回に。)

展示はニューヨーク(1890-1921)、パリ(1921-1940)、ロサンゼルス(1940-1951)、パリ(1951-1976)の4期に分けてなされていました。(公式ホームページは1951-をニューヨークと間違っています。)

回転扉
ニューヨーク(1890-1921):
ロシア系移民の家系でフィラデルフィアに生まれ、高校を卒業してニューヨークでザイナーとして立つ。肖像写真や他作家の作品の記録写真を撮り始めるが、自身の作品が受け入れられないことに失望し、やがて活動の場をパリへと移す。

白と黒

パリ(1921-1940):
パリではダダイストたちにすぐに仲間として受け入れられた。彼はポートレイトを得意とする職業写真家として活躍する一方、レイヨグラフやソラリゼーションなど、独自の写真技法を見いだし、芸術写真家としても認められた。歌手のキキ・ド・モンパルナスら、彼の主要な作品のモデルとなった女性たちとも出会う。フランス政府が崩壊した1940年、パリを離れ、アメリカに戻る。

チェス
ロサンジェルス(1940-1955)
ジュリエット・ブラウナーと知り合い、共にハリウッドに居を構え、1946年に結婚、その後の生涯を共に過ごすことになった。カリフォルニアでは、展覧会の機会は多くあったが、画家としての正当な評価を得ることはなかった。商業写真から距離を置き、過去の作品を再制作することに熱意を傾けた。ジュリエットは様々な作品に、写真やスケッチとなって登場している。工業デザインとしてのチェスの駒のデザインにも興味を持ち作品を残した。

花を持つジュリエット
パリ(1955-1976)
パリに戻ってポートレイト写真の撮影を引き続き行い、一方で実験的な作品制作を試みている。カラー・ポジフィルムによる作品は、写真への関心が晩年に復活したことを示す。1961年にヴェネツィア・ビエンナーレにおいて金獅子賞を受賞し、1976年にはフランス政府から芸術功労賞が授けられた。晩年の成功で作品の市場価値が高まると、初期の絵画作品をリトグラフとして大量に複製した。
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