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2010年7月15日

1534 永遠のゼロ(永遠の0)と言う文庫本:百田尚樹著

日本でもお盆を控えて、終戦、原爆、第二次大戦に関する本がだいぶん本屋に増えています。永遠のゼロ(永遠の0)と言う文庫本を読み始めました。紀元は2600年(=昭和15年)に作られた日本の海軍戦闘機ゼロ戦のゼロです。特攻で戦死した自分の祖父のルーツ探しの旅という感じの本です。(続きを見る)読後感想はしばしお待ちください。

zero
私たちを昭和35年頃に教えてくれていた正義漢の浜先生には禿げた後頭部に大陸で部隊が襲われたときに負傷した銃弾の痕があり、それを隠そうとはされませんでした。
小学校の隣のクラスの担任は不時着した特攻隊の生き残りでした。終戦の日にはアルミの食器で食事をし涙を流しているのだと、私たちの担任がそっと教えてくれました。
この担任の佐藤先生も終戦時には学徒動員で5NT(5色熱線探知機の軍機密コード:レーダーの様な秘密兵器かしい)を作る工場に動員されていたとの話でした。”ごまかしを考えてはいけない”という強い信念の方で、体罰こそ大してなかったけれど始終厳しく怒られていました。
親しい友人の亀山君のお父さんも戦闘機乗りだったと話していました。操縦桿とペダルの動きの組み合わせが難しいのだと話していましたね。

私の今は亡き父は、学徒動員先で体験した焼夷弾の落下音は思い出すだけでも身の毛がよだつと言っていました。

あの当時の大人にとって戦争はつい昨日のこと。昔の話ではなかったのですね。

その話を直接に経験者から聞いた私たちはそれを子供たちに残さねばならないのでしょう。

追記:
 最後の児玉清さんの解説も良かったです。小説の内容は種明かしをしてしまうとつんらなくなりますから避けますが、電車の中でも机の上でもこの本を読むと滂沱の涙と言うのはウソではありません。

 ラバウルrabaulの航空基地と言うものの大戦全体における位置づけも今回初めて解りました。泥沼の戦いに足を取られてしまったガダルカナル島の陸軍部隊を援助しなくてはならなくなってしまった海軍の立場と言ったもの、そしてその戦いゆえに飛行士の墓場となってしまったラバウル航空隊のおかれた立場が、解りました。

 ゼロ戦は3時間も飛んで空中戦をし、その後また3時間飛んで基地に戻るという足の長いゼロ戦ならではの苦しい戦いに駆り出されていたのですね。

 主人公が、何人かの祖父を知る人を訪ねて歩き、それぞれの人の心の中に生き続ける祖父の実像に近付いてゆくというアプローチには、渡辺淳一の”阿寒に果つ”を連想しました。

自分の祖父や義理の祖父について、何をしてきた人かを20歳にもなってから調査して初めて知るというストーリーはちょっと非現実的にも感じました。祖父程度までならそれほどの興味を持たなくても、おおよそのことはそれなりに聞いているものと思っていましたので。都会で暮らしている人にはそんなことも有るかもしれませんが。

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