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2010年3月10日

1322忘れない、1945年3月10日の東京大空襲

今日は3月10日、東京大空襲の有った日です。現在江東区で暮らす私たちが忘れるべきではない日です。
東京大空襲記事
爆撃が始まったとされる3月10日0時7分までに新たな記事を書きたかったのですが、間に合いません。昨年の記事に手を加えて再度掲載します。

前の記事は、806 清澤眼科医院通信257号(2009.3.9)(管理頁

大空襲

本日3月10日が東京大空襲のあった日であることを私の友人が思い出させてくれました。(東京大空襲は大量殺戮を目的としていた⇒リンク)東京の下町で生活する私たちはこの日だけは忘れるべきではないでしょう。図の右端の川が荒川で図の中央右に台形に映っている湾がその後に埋め立てられて私の医院が今ある新砂3丁目になりました。(昨年もこれを記事にしましたが。⇒リンク)左には皇居が見えます。
東京大空襲地図

ーー引用ーー”1945年3月10日午前0時8分、東京の下町上空に侵入した米軍B29爆撃機が、大量の焼夷弾による爆撃を開始。マリアナ諸島を発進したB29は300機を超え、それまでの「昼間高高度精密爆撃」から、「夜間低高度無差別爆撃」に作戦を変更し、高度約2000メートルから日本の家屋用に開発したM69焼夷弾でじゅうたん爆撃した。
現在の墨田、江東、台東区などにあたる当時の本所、深川、城東、浅草の各区などで大火が発生した。2時間余りの爆撃で、死者は約10万人、負傷者約4万人、被災家屋約27万戸。米軍調査によると、焼失面積は41平方キロに上り、米軍機の損失は14機に過ぎなかった。”ーー引用終了

私は戦後も落ち着いた昭和28年の生まれです。実体験としての戦争は知りません。

東京大空襲3
当時大学生であった私の父は、錦糸町の学徒動員に荻窪から来ていて、歩いて荻窪に戻ったと話してくれました。東京大空襲という週刊誌大のくたびれた写真集を大事に保存していました。あれは有名な警視庁の写真家の撮った写真を戦後になって出版されたものです。
爆弾の怖さよりも、あの”ざーー”という焼夷弾の落ちてくる音は厭なものだと言っていましたが、この日の経験だったのでしょうか?当時の父は20歳、今の私よりはるかに若買ったのですね。

ガラスのうさぎという本をご存知ですか?この本を書かれた作家の高木敏子さんには一度だけですが、お会いしたことがあります。お会いした後、ガラスのうさぎを購入し、医院の診察台の後ろの医学書の書棚に一冊だけ並べております。

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