下瞼が痛いというセネストパシーと思われる患者さんについて、今日は後輩の医師から相談を受けました。(管理頁)2006.12.6の大学外来から
セネストパシーは今年の夏の真鶴セミナーでは気賀沢先生が、またそれを受けた今年の秋の日本臨床眼科学会での不明愁訴と不定愁訴のセッションでは若倉先生が説明していた概念です。
セネストパシー(cenestopathy)は体感症と日本語には訳されています。
セネストパシーは、体感の幻覚症状を訴える病気です。
頭の中に丸い塊がある、あるいは、砂が詰まっている感じがする、内臓が溶けてしまう、といった異様な感じがして、それに悩むといいます。
眼科では瞼の裏にごみがあり、これがどうしても取れないなどという訴え方をすることが多いようです。
一般には、頭の中、口腔内、消化管、性器などに異様感を覚えることが多いとも説明されています。
突然発生し、長期にわたることがありますが、健康への懸念は薄いといわれて居ます。
時にうつ病や統合失調症の症状としても見られるそうです。
このように、セネストパチーは、実際には身体疾患がないのに独特な体の変容感を自覚してそれに固執する症状です。
たとえば、「体の中の筋肉が溶けかかって平衡感がない」「頭の中がネトネトする」といった奇妙な症状ですが、訴える者はそれを比喩としてでなく実体として表現し、それが身体的な病変に由来すると信じて疑いません。
今日の患者さんは、手術としてはきれいに行われた小さな目の手術をきっかけに訴えが起きています。多少の異物感を起こすことのある結膜弛緩と涙液分泌の低下も伴ってはいますので、完全に幻覚を訴え固執するセネストパシー自体ではないのかもしれません。
こうした変容感は、自己像の障害であると心理学的に理解されて治療の対象となるとされてはいますが、私が見つけられた範囲では具合的に有効な薬剤などを記載した文献は見当たりませんでした。
今後、対症療法的な眼科の治療を進めるべきなのか、精神神経医学的なアプローチで訴えを解消してゆくべきなのかを考えています。
注1:冗談のような偶然の一致なのでしょうか?Ce n’est pas 、、(セネパ、、と発音します)というのは、何々ではないという意味のフランス語ですが、スペルを見ますとなんとなく似ていると思ったのは私の空耳でしょうか?セネストパシーの語源を知っている方が居たらお教えください。
注2:自分の身体全体または身体の部分の空間的関係に関するイメージ(身体像)を成立させる意識下の働きを、身体図式といいますが、セネストパシー(cenestopathy)はその異常のひとつと説明されている模様です。
自分の身体が空間内でどういう位置にあり、どんな姿勢をとっているかとか、身体の部分の関係がどのようになっているかとかの認識は、身体図式の働きにもと基づくものです。
身体図式は、多数の感覚的経験や運動的経験が統合されて形成されます。身体図式が意識されると、身体像となりますが、普段は順応によって意識されずに、身体図式のままでとどまっています。
身体像は、自分の身体が外界の事物とは異なることに気づくきっかけを与えるわけですから、身体図式は、自己概念(⇒self concept)の基盤ともなります。
身体図式(body schema)は、各個人が自己の身体についてもつ表象ないし空間像のことです。
自己の身体が空間内にどう位置していてどんな姿勢をとっているかといった認識は、この身体図式の働きを媒介として可能となります。
これは、身体の諸感覚や運動などの経験によって統合・形成される意識化での生理学的機制です。
シルダーは、身体図式がこのように直接体験されない生理的な過程であるのに対し、身体像(body image)は、身体図式の存在を前提としながら直接体験され意識される身体の空間像であると一応の区別をつけていました。
つまり、発達的には乳児が1人で座ることができるようになる頃から「このからだが自分のからだである」といった素朴な認識が芽生えてきますが、これは自己の身体をどのように認知、体験、評価するかという心理的な意味を含む自己イメージのひな形となります。
この概念は、自己概念ひいては自我同一性(ego identity)の中核となるという点で臨床的にも重視されています。
(参考:篠竹利和 2005 13-15 新心理学の基礎知識 中島義明他(編) 有斐閣)
今日も最後まで眼を通してくださりありがとうございます。
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