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2020年4月16日

11771:アイヒマン逮捕を描いた映画:Operation finale

清澤のコメント:今日はこの映画を見ました。主な舞台はブエノスアイレス。自動車工場の工場長として逃亡生活を送っているナチスの逃亡指導者であるアイヒマンを同定し、とらえ、イスラエルでの裁判を受けさせるためにアルゼンチンから拉致してイスラエルに連れて行ったという歴史的な作戦を示した映画でした。戦後のヨーロッパと南米にはナチスの戦犯の逃亡を助けるオデッサなどの組織が実際にあったようで、キリスト教会もそれを支援したのだそうです。これは、1945年の終戦から約15年、昭和でいうと昭和35年ころのお話です。

あらすじ
クリスワイツ監督の歴史的なスリラーは、イスラエルの秘密諜報員のグループがアルゼンチンで悪名高いSS将校アドルフ・アイヒマン-「最終的な解決策」(ユダヤ人絶滅計画)の首謀者-を逮捕した事例に基づいています。 オスカー・アイザックは伝説のモサドエージェントのピーターマルキンを演じ、ベン・キングスレーは感情を操作する宿敵を演じます。 アイヒマンをブエノスアイレスまで追跡した後、マルキンと彼の部下はアイヒマンを捕らえ、歴史的な8ヶ月の裁判のためにイスラエルに連れて行きました。

アイヒマン拉致に関する記録:

アドルフ・アイヒマン(SS中佐)

戦後、アイヒマンは南米アルゼンチンで逃亡生活を送っていた。しかし、イスラエルの秘密情報機関「モサド」の秘密工作チームによって1960年5月11日に誘拐・逮捕され、イスラエルへ空輸された。この「アイヒマン拉致事件」は、イスラエル政府がアルゼンチン政府に対して正式な外交的手続きを踏んだものではなかったため、アルゼンチン政府は「主権侵害」と猛抗議、大使召還、国連提訴など、解決まで2ヶ月間もめた。 また、米国CIAにはアイヒマンの部下だった人物が多数関与しており、CIAがアイヒマンの所在を知っていた可能性も考えられる。

注; http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/NazisGermany/SouthAmerica_Nazis_zantou.html

ナチス逃亡者の受け入れに極めて寛容だったフランコ政権とペロン政権
現在も、世界各地にナチス残党の避難所が数多く存在していると言われている。

サイモン・ヴィーゼンタールのナチス逃亡者追跡機関「ナチ体制下のユダヤ人犠牲者連盟記録センター」や「世界ユダヤ人会議」によれば、戦後4万人から5万人のナチス残党が南アメリカに逃亡したという。 第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて、計80億ドルの財宝と15万人のナチ党員がドイツから南アメリカへ移動したという。 ナチス逃亡者の多くが南アメリカを逃亡先に選んだ理由の第1は、親ナチス的なファン・ペロン独裁政権がアルゼンチンに誕生しており、庇護を受けられることが約束されていたということである。 ファン・ペロンは、大戦中、軍事視察武官としてヨーロッパに旅行し、ヒトラーやムッソリーニから大きな薫陶を得て、アルゼンチンに帰国し、直ちに全体主義的ナショナリズムの傾向が強い指導者として、政治運動に着手し、1943年のカスティヨ政権打倒に力を発揮し、1944年、クーデターによってファレル政権が成立すると、陸軍大臣に就任し、ほどなく副大統領となり、1946年、大統領に当選し、念願の軍事的独裁を掌握するに至った。 この間、ドイツ大使館はペロンを中心とする青年将校団に資金援助をしていた。 第二次世界大戦末期のドイツはUボートを使って、ナチスの財宝を密かに南アメリカへ搬出し始めていたが、アルゼンチンでは、ペロン副大統領がその受け入れに大きく関与していた。 そして、戦後のペロン政権は、ローマ教皇庁を通じて次々に送られてくるナチス逃亡者の亡命嘆願を積極的に受け入れた。 ペロン政権はスペインのフランコ政権と共に、ナチス残党の受け入れに極めて寛容だった。 ヒトラーがかなり早い時期から南アメリカに対して並々ならぬ関心を寄せていたこと、南アメリカには元々ドイツ系の移民が多かったこと、ドイツ系移民の中から強力なナチス運動が展開していたことも、ナチス逃亡者の多くが南アメリカを逃亡先に選んだ理由として挙げられる。

Categorised in: 社会・経済