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2020年2月29日

11562:2・28事件

清澤のコメント:1947年2月に起きた台湾における白色テロ。戦後の台湾人、特に知識人を襲った悲劇であったが、ほとんど知られることもなく、2020年のこの日を過ごした日本人も多かったと思われる。藤井厳喜氏のワールドフォーキャストで説明されていました。ウィキペディア~抜粋します。

二・二八事件(ににはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(外省人(在台中国人))による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本を有していた本省人(台湾人)と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件[1]

1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。

背景

1945年に日本が敗戦した後の台湾には、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐し行政を引き継いだ。

当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び、中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で(人格的にも能力的にも精鋭と呼べる人材は大陸の前線に送られており)質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。

当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる(中国語:狗去豬來)」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている)。

経緯

事件をきっかけとし、民衆の中華民国への怒りが爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が市庁舎へ大挙して押しかけたが、中華民国側は強硬姿勢を崩さず、憲兵隊は市庁舎の屋上に機関銃を据えて、非武装のデモ隊へ向けて無差別に掃射を行う。多くの市民が殺害され、傷を負った。この後、国府軍は台北以外の各地でも台湾人への無差別発砲や処刑を行っている。

劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時本省人側に対して対話の姿勢を示したが、在台湾行政長官兼警備総司令陳儀は、大陸の国民党政府に密かに援軍を要請した。陳は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆行為」「奸黨亂徒(奸党乱徒)に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蒋介石に送っている。

蒋介石は陳儀の書簡の内容を鵜呑みにし、翌月、第21師団と憲兵隊を大陸から援軍として派遣した。これと連動して、陳儀の部隊も一斉に反撃を開始した。裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まった。

この事件によって、多くの本省人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。1992年、台湾の行政院は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表している。

白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑される根源となった。また、内外の批判によって国民党政府が漸く戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の「民主化」が実現するのは、李輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。

その後

事件後、関係者の多くは処刑されるか身を隠すか、あるいは海外逃亡を企てた。

後に中華民国総統を務めた李登輝は留学経験者という知識分子であったため処刑を恐れて知人宅に潜伏し、ほとぼりの冷めるのをまった。外国人初の直木賞受賞作家であり実業家の邱永漢は学生運動のリーダーであったが、当局の眼を掻い潜って出航。香港を経由して日本に逃亡した。亡命者の中には反国民党を掲げたものもあったが、当時は東西冷戦の時代であり、反国民党=親共産党とみなされて、日米ではその主張は理解されなかった。

事件収束後も、長らく国民党は知識分子や左翼分子を徹底的に弾圧した(白色テロ)ため、この事件については、長らく公に発言することはタブーとなっていた。

1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』は二・二八事件を直接的に描いた初めての劇映画であった。この映画がヴェネツィア国際映画祭で金賞を受賞し、二・二八事件は世界的に知られる事となった。

Categorised in: 社会・経済