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2019年9月21日

11100:医療の前提に思いやりが必要なら、道は遠い:若倉先生のコラム

眼科医清澤のコメント:10月号の眼科ケアに収載された若倉先輩の連載エッセーです。眼科医院職員の方々は院長先生におねだりして、医院経費でこの雑誌の購入を頼んでみてください。合理的に眼科診療を行うためのヒントがたくさん載っています。そのノリでイケイケどんどんと、楽しく眼科診療に従事できるとお互いに幸せなのですけれど。 この記事を読み、日々の自分の行動を顧みるとなかなか耳の痛い話です。 相模原で起こった犯罪が許されたり、情状酌量されたりという余地は全くないのですけれど、「医療職をしていて職務に追い詰められると、眼前の患者を敵視するようになる」という話は実際にあることらしいです。

私の提言、苦言、放言 第160回 医療の前提に思いやりが必要なら、道は遠い: 

井上眼科病院名誉院長 若倉 雅登

医師の本務が診断と治療だということに、異論を差し挟む人はいないだろう。病院も医院もそれを実現させるために、必要な医療設備を備え、看護師、眼科でいえば視能訓練士のような専門的コメディカルスタッフ、事務職員といった人材を配置している。これで、医療のハード面、骨格は整ったかにみえる。さて、問題は中身である。

 医師や医療スタッフを職業とする人は、人間が好きで、健康を害している人に寄り添いたい、救いたいと思って仕事を選んだものだと思う。それが医療現場で実現しているかどうかは医療のハード面の整備とは別の問題であろう。

 ところで、三年前に一九人もの命が奪われた、相模原障害者施設殺傷事件は我々の記憶にまだ新しい。ニュースによれば植松聖被告は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸をもたらすだけで死んだ方がよい」と語っているそうだ。そういう考えの人がなぜ自ら障害者施設に勤務したのか。そういう考えを持つなら、そういう職業を選ばなかったはずだろう。 一般社会の中で、口だけでそういう意見をいっているだけなら、人が殺傷されることも、殺人者が生まれることもなかったはずなのだ。もし、この人が自らこの職業に就いたとすれば、その動機を聞きたい。健常な判断力を持っている人(だった)と仮定すれば、この職業を選んだのだから、その時はきっと人に対しての優しさがあったに違いない。しかし、現実に働いてみて、実感するところが変化したのではなかろうか。そうであれば、障害者施設のあり方にも、メスを入れるべき問題があるのではないかと考えてみるべきではなかろうか。もちろん、だからといつて被告が凶悪犯罪の責任から逃れることはできないのは当然であるが…。

 病院、医院の話に戻そう。

 私はかつて、私立大学医学部入学試験の面接試験に、何度もかかわっていた。入学希望者は例外なく、面接で一私は人を助ける仕事をしたい」「私は人に寄り添った仕事をしたい」と志望動機を語る。「医者になってもうけてビルを建てたい」とか、医者になって名誉を勝ち取りたい」などという人は誰一人としていないし、そのような答えなら不合格と判定されるに違いない。これは、おそらく看護師などの医療スタッフを育成する学校でも同じだろう。この理想的な動機や信条は、おそらく卒業して資格を得るまでは、継続する。しかし、いったん病院や医院に勤務し始めると、こうした純朴な気持ちを維持できるだろうか。社会の現場、医療の現場にはさまざまな出来事が待っている。日本全国共通と思われる医療の現実をやや誇張して記してみるとこうなる。

(一) 現場は極めて多忙である。初めから実力以上の患者を担当させられるため、医学的なルーチン(当たり前の仕事)を行うだけで精一杯になり、患者の話をじっくりと聞き、寄り添うなどという理想は物理的に困難となる。

(二) 現場は教科書で習ったとおりには必ずしも進まず、想定外の状況が次々と出現する。診断すらつかない、治療しても期待どおりの効果が出ないなどは珍しいことではない。眼科でいえば、治療しても視機能が元に復するとは限らず、後遺症が残ったり、病状の進行を止められなかったりする場合も少なくない。習ったこともない医療の限界を現場で実感するから、医療者としては想定外で、余裕を持てなくなる。

(三) しばらくすると、医療経済的には、思いやりや寄り添いはまったく評価されないことを知る。

 こうして多くの医療者は日々の診療活動の中で、もとの信条を実現させる道は遠いことに気付く。意識して、この信条を実現させるには、相当な精神的、経済的ゆとりが必要だと、ここで悟ることになる。

 社会の空気や流れは、個人が人事にしていた素朴な夢をいとも簡単に打ち砕くというわけだ(そうされまいともがいても、個人のエネルギーには限界があるからどうしようもない。もとの大望を諦めるか、隠すか、捨て鉢になるしかないのだろうか。寄り添う医療への大改革は個人ではなかなか困難であろう。

Categorised in: 社会・経済