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2018年5月20日

9869:日大アメフト部の蛮行、スポーツへの背信行為だ:記事紹介

清澤のコメント:
 『さらに関係者は根本的問題があるという。内田監督は人事担当の常務理事で、相撲部総監督でもある田中理事長の側近の1人。人事部長に運動部予算を握る保健体育審議会局長も務めるNO・2の座にいる。内田監督は役職については「それは違う問題ですので」と辞任の考えはないようだ。』という記事も出ています。「監督になってはいけない人であった」という発言もあります。:であれば、ファールした選手を暴行致傷の実行犯、同監督には教唆容疑で検察に書類送検と刑事訴追をしてもらい、たとえ無罪や起訴猶予となってもその結果としてスポーツの世界から彼を追放するしかないのでしょうか?

 世の中には優れたコラムがあります。一度そのコラムを読み、その関連動画を何回か見て、忘れられなくなった数日前の記事を紹介しましょう。どこにあったのかを探すのにひと苦労しました。

出典は日経ビジネスの「日大アメフト部の蛮行、スポーツへの背信行為だ、対戦相手にリスペクトなし、悲しすぎる」です。肝心なその最後の部分を引用しその動画を上に採録いたします。

◎暮らしを豊かにする福沢諭吉のスポーツ論

 これは以前にも紹介したが、明治26年(1893年)に福澤諭吉が当時の新聞に「体育の目的を忘るゝ勿れ」という評論を寄せている。その内容を要約すれば「スポーツは手段であって目的ではない」と主張している。

  • 健康になるため
  • 仲間を作るため
  • 気分を爽快にして勉強をするため
  • 颯爽と仕事をするため
  • 丈夫な身体を持って社会に貢献するため

 あくまでもスポーツは私たちの日常を豊かにするための手段であって、何かを実現するために極めて有効なものだ…と、福澤は明治時代にもうすでにスポーツの機能を賛美している。そして学業を疎かにしスポーツだけに没頭する勝利至上主義を嘆いている。

 つまり大学時代で言えば、社会でも通用するスポーツマンシップを学ぶための手段としてスポーツに取り組んでいるはずなのに、勝つことを目的に手段を選ばない行為をやってしまったら、それはもはやスポーツとは言えない。

 パソコンに保存している大好きなシーン(映像)がある。

 第87回(2008年)全国高校サッカー。

 兵庫県・滝川二高が鹿児島県・城西高に敗れた後のロッカールームでのことだ。城西の大迫勇也選手に芸術的な2ゴールを決められて、滝川二高の中西隆裕キャプテンが泣きじゃくりながら叫んでいる。

 「大迫半端ないって。アイツ半端ないって。後ろ向きのボール、めっちゃトラップするもん。そんなの出来ひんやん普通」

 これで生まれた名言が「大迫半端ない」であり、この言葉をプリントしたTシャツもすぐに売られた。

 そして、そんな中西君に向かって栫(かこい)裕保監督が笑顔で言うのだ。

 「あれは凄かった。俺、握手してもらったぞ」

 このシーンが大好きなのは、中西君にも栫監督にも戦った相手へのリスペクトがあるからだ。

 スポーツは、その精神の上に成り立っている。

 今回の日大の一件が悲しすぎるのは、アメリカンフットボールというスポーツにも、相手に対しても、リスペクトがないからだ。

Categorised in: 社会・経済