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2016年5月30日

7798:戦後70年 ニッポンの肖像 バブルとその後の失われた20年:視聴メモです。

7798:ニッポンの肖像 バブルとその後の失われた20年:第一部に続く第2部の視聴メモです

清澤のコメント:1980年代、高度経済成長が終わりを告げて本業が頭打ちになると、日本の企業は財テクという奇妙な収益を求める行動に走った。米国に始まった金融自由化で、日本には円高と金融緩和が求められたという。公定歩合は大いに引き下げられ、株も土地もバブルを謳歌していた。1986年から1988年の3年間、私は日本を離れていたので、この間の日本の事情を知らない。1988年末の帰国後、不動産を持って居なかった私は、時代に取り残されたかのような思いにとらわれたことを思い出す。バブルの崩壊は1990年5月であったと言うが、その実感が私にはない。
 その後、1992年(平成4年)私は職を得て東京に出た。この時までに不動産は既に随分暴落していたはずである。しかし、日本は不良債権を積んだまま漂流し、まさに失われた20年を経験することになった。開業に至る2004年まで、日本経済はゆっくり坂を下って行っていたらしいが、大学にいた私にはその間の社会との接触の思いは少ない。
 開業した2005年(平成17年)頃、日本の景気は幸いなことに少しは持ち直していたようである。そこで出くわしたのが2008年(平成20年)のリーマンショックであった。その後、東日本大震災を経て、御代は現在に至ったのである。

   ---番組の内容聞き書き---
80年代後半には日本に財テクが氾濫した。その代表的な会社が阪和興業:鉄鋼商社が財テクを繰り広げた。この企業は高度成長期に売り上げを伸ばしたが、70年代2度のオイルショックを経て80年代に利益は横ばいに転じ、会社が変わった。本業が頭打ちになる中での変化であった。

その変化の起点はアメリカの金融自由化であった。金利の低い海外で資金を調達し、それを国内で増やした。そこには山一証券が違法取引ニギリで深く関与していた。運用総額は1500億円と企業規模に対して異常であった。

此の頃、株価は3倍になった。都心では不動産が異常な上昇を示し、銀行からも巨額な融資が行われた。その中で、麻布自動車の資産は7000億円にもなった。

有識者には「あり得ないことが起きている。」との自覚はあった。バブルは:地価の高騰に代表され、各地にゴルフ場が容易に出来た。それを批判すると、地価がバブルを起こすはずがないとの非難が集中する時代であった。正にぐるぐる回る財テクであった。しかし、本業の不調がそのもとにはあった。

プラザ合意がそこに登場する:いち早くバブルを察知したが日銀もその拡大を許したという。1985年アメリカが求めた(ポール・ボルカー氏)ドル安を各国が支持した。日本には特に円高と金融緩和が求められた。日米貿易摩擦が起き、日本は米国の利下げ要求を受け入れざるを得なかった。金融緩和:日銀は利下げした。――その結果は、不動産業への融資拡大で1986年から土地の値上がりが生じた。

ドルは240円から150円へ変化し、:国内は円高不況に陥った。それなのに米国からは更なる利下げが要求された。バブルに対しては良くないが、対米配慮で更に公定歩合は下げられた。それが87年2月の2.5%であった。そして地価の上昇は郊外にも広がった。

87年10月ブラックマンデー:アメリカから日本と世界へと伝搬。しかし、公定歩合は上げられない。89年5月まで更にバブルは広がりダウ38000円へと至った。

90年1月:日本のバブルが極限に達して、株式市場が下落に転じた。山一証券は『損失隠しを続け、1997年に山一證券は廃業に至った。
91年からは地価も下落した。

日本のバブルの原因は? 銀行は資金の運用先を失っていた。人口構造で団塊の世代が中堅になり、必要以上に多くのプロジェクトが車内で建てられた。

日本がアメリカに勝ったと思ったが、それはアメリカと日本の産業発展段階の差を勘違いしていたものだ。
ジャパンアズナンバーワンが出たころ、:米国では自動車、半導体における製造業衰退とサービス産業などへの産業構造の転換が既に始まっていた。それなのに、アメリカに対して日本が勝てると思ってしまった。これがその後の失われた20年の正体である。

失われた20年:
1989年ロシアの崩壊、そして韓国と中国の台頭。日本ではいくつもの銀行の破綻もあり、企業でも相次ぐリストラが行われた。
この間GDPが日本では変わらず、韓国4倍、中国19倍になっていった。

三洋電機の破綻
90年台に韓国と中国の台頭があった:サムスンは93年から5倍:技術力の成長。中国ではハイアールが90倍になっている。80年代には日本人の技術者も引き抜かれていた。この間、日本は国内市場の取り合いに終始した。新機能の開発を目指したが、国際的には価格が高いこのような機能はむしろいらないと言われただけだった。

2000年台になって:シリコンバレーでのIT技術革新が起きた。:アップルはソフトウエアの開発などで優位に立った。
一方サンヨーでは人員削減が企業体力を削いだ。日本の「社内での交渉の技術」は世界には通用しない。辞任削減では必要な人から抜けてゆく。

91年ごろ日本のGDPは世界の15-16%だったがいまは8%に減った。この間、中国は2%から10%に増え、米国は25%が22%に減っただけに踏み留まっている。

日本は不良債権を積んだまま漂流した。米国は直接金融だが日本は間接金融なので、会社が生き延びられてしまったのだ。問題の先送り体質を持って居る。

1990年以後:中国の製造業は人件費が安いことで伸びられた。伸びるのは人、技術、資本がそろう必要があるが、資本は米国の投資銀行が出した。技術はコンピュータの普及で足りた。アップルは人件費の安い中国を生産に利用しており、日本も見習わねばならない。

企業経営者は:1992年経済同友会の19人が集まって終身雇用や年功序列を維持するか?を議論した。企業には社員の生産性が必要であり、成長が年3%では今の体制を維持できない。宮内氏は:アメリカ的効率化、株主尊重を主張し、2002年には:製造業派遣の解禁に至った。しかし2008年リーマンショックで、宮内氏は株の売り浴びせに遭った。だから株主から会社を守る必要もあるという。

従来は:終身雇用とベースアップは当然であった。新日鉄の今井氏は:人員削減の必要に遭遇した。1998年経団連会長に就任。企業の合併や統合支持を国に働きかけたという。

世界の条件が変わった時、良し悪しではなく、新しい企業の在り方はどうあるべきか?という新しい倫理観が求められている。それには幸せの尺度も変えるべきだという。

生産年齢人口とは15歳から64歳である:今後土地は余り、人はいないという時代になる。労働供給の不足。高度専門技術サービス(2,5次産業);例えばグーグルなどのようなものが求められている。今が踏みとどまる最後のチャンスだろうという。収益と技術開発と共に、持続可能性(サステイナビリティー)が重要であろうという。

Categorised in: 社会・経済