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2016年4月23日

7679 震災体験と音楽による復興支援の試み:高橋明先生のお話

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◎院内関係者を集めての、「震災体験と音楽による復興支援の試み(艮陵共に歩み隊:脳外科医 高橋明先生による)」を23日診療終了後に医院の職員を対象に行いました。

今後規模を拡大しで外部の方々も招待する会を今後別の機会にぜひ開催したいと考えています。今回は23席が満席。職員及び関係者の皆様のご協力に感謝いたします。中心になって準備を進めてくださった荒井さんと中村さんにも感謝申し上げます。席が足りない状態でしたので、今回は公募をしませんでした。御容赦ください。

高橋明先生のお話から、清澤の聞き覚えの内容です:

 昭和53年に卒業した東北大学医学部医学科は約200人が同時に卒業したが、それは昭和46年に入学した高橋を含む100人と、昭和47年に入学した清澤を含む100人が同級になったことによる。

 当時は学費値上げ反対闘争といって、国立大学の学費が短期間に4倍に値上げされたので、それに対する反対運動があっという間に燃え上がり、わけのわからぬうちに、46年度の学年末試験をボイコットするという運動が46年入学生の間に沸き起こった。

 46年医学部入学者の2名を除くほとんどがこの試験ボイコットで落第して、47入学生とともに教養部から医学部に進学した。このために東北大学医学部昭和53年卒は200人という史上最大数の卒業生を誇るクラスとなった。(ここまでが前置き)

 高橋は、東京オリンピックで景気を浮揚させてその利を皆に回そうという考えには承服できない。それは殊に、東日本大震災以後の高橋の体験が原因になっている。

 東北大学の独立行政法人化に伴う都合で、定年は65歳に伸ばされていたが、以前からの計画通りに高橋は定年まで2年を残して63歳で医学部教授を退いた。そして今回、旗の台にある洗足学園の音楽科に入学した。音楽学部には500人がいるが、チェロ部門の同級生はわずかに5人である。此処数年ではこの4名は最大人数である。そして、その同級生はみな18歳である。

 今、高橋は短髪にしている。地震の直後には仙台では風呂も使えず、被災地では髪を坊主にすることが流行った。今の高橋の髪型はその名残である。

 地震の日に自宅に帰ってみたら、家の中の家財は散乱しており、愛用のチェロも架台から外れて倒れていた。演奏に耐えるかどうかもわからぬまま演者はチェロを仕舞い、10日間は楽器を手にすることもできなかった。

 チェロの表の中央には駒という構造物があって弦を支えている。この駒の裏側で少しずれた位置に魂の柱と書く魂柱という構造物がある。これが、駒から発する振動をチェロの裏の板にも伝えており、音は表板と裏板両者の振動で発生している。側面の働きは乏しい。

 東日本大震災における被害は津波による多数の死者を出した宮城県や岩手県沿岸地方に見られる被害の形と、原子力発電所事故による核汚染を中心とした福島県の被害の形に分けられる。前者による死者は地震発生後数か月までに終息したが、後者は今も放射線汚染で元の住所に戻れないという惨状が続いている。

 いずれにおいても、仮設住宅の利用はほぼ2年とされているにもかかわらず、5年たっても戻れない人が多い。

 この地震では2万人の命が失われたが、北野武氏が言うように『今回の震災は、2万人が死んだ一つの事件ではなく、1人が死んだ事件が2万件あったということ。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人達がいて、その悲しみに今も耐えている。』:ということだ。

 このような大きな事故に遭遇すると、人々の気分は普段とは異なってハイ(躁状態)になる。そこから人々をもとの状態に引き戻すには音楽が非常に役に立つ。

 宮城フィルの楽団員たちは、練習や演奏の場とともに生活の糧をも失った。しかし高橋の初めのチェロの師である人を含む団員は、震災の直後から駅前のビルの吹き抜けで無料の街頭コンサートを連日行っていた。

 演者の高橋は、大学医学部の昼休みにそれを聞きに行き、感動して、以後の1000人のチェロコンサートと東北大学の職員学生による被災地での演奏会を企画するようになった。

 仙台地方の地層には大昔から1000年に一度の津波のあとのような痕跡は残されている。岩手県の田老に及んでは明治以後4回も津波に襲われていて、その都度、堤防をかさ上げしていた。それでもまた今回は、津波に多くの人命が奪われた。

 自然と対決してそれに打ち勝とうという姿勢ではなく、人は自然とともに生きる道を選ぶべきである。

 陸前高田、此処は岩手県三陸地方の中央部にあたるのだが、そう考えると、この陸前高田で行われたような、山を切り崩して地盤沈下した高田松原に盛り土をして海抜を高めるというのは基本的におかしい。さらにその工事を観光資源として見せようというのはさらに違うと思う。

 海が見えなっくなってしまうという訴えにこたえて、10メートルの防波堤に海が見えるアクリルの窓を付けるというのはさらに愚かなことである。

 では本日のチェロ演奏を聴いていただこう。まずはバッハの6曲の曲集から4曲。最後はサンサーンスの白鳥。

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眼科医清澤のコメント:
 終了後に集合写真が撮れました。(お話し中の写真とともに、掲載準備中)
 主催の「艮(ゴン)とも」の艮(ゴン)というのは、仙台市の青葉城から見て北東にあたる医学部キャンパスの事です。医学部同窓会を艮陵会と呼ぶことに依っています。

 演奏の終了後にアンコールがなくて、「あれ?」と思ったのですが、多くの参加者が高橋先生にチェロという楽器を見せてもらいに集まり、和気あいあいでの話ができて、かえって良かったです。

 聴衆最年少でようやく歩き始めたKさんのお嬢さんは、チェロの弦をはじいて音を出させてもらって、音楽会も一人前に楽しんでいました。

 今年の忘年会でご披露する「清澤眼科10大ニュース」の一つはこれに決まりです。

Categorised in: 社会・経済