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2021年1月9日

12561:「いずれ見えなくなる」と医師 母を追い詰めた目の難病:網膜色素変性症

清澤のコメント:網膜色素変性症に関する記事です。現在この記事の看護師さんは井上眼科病院の「目の相談室」にお務めだそうです。病気を治すという方向だけではなく、残った機能を助ける機材や補装具を使って視覚障害者の生活をどう助けるか?という事に取り組んでおられることが素晴らしいと思いました。そのようなことに取り組む施設も文中に紹介されています。ご参照ください。なお、網膜色素変性の概要は次の当ブログ記事をご覧ください。

   ーーー朝日新聞記事の抄出ですーーーーー

松浦祐子2020年1月11日

【まとめて読む】患者を生きる・職場で「視覚障害」

 東京都の石原純子さん(53)は看護師の仕事をいったん辞め、2人の子育ての真っ最中だった38歳の頃、網膜色素変性症と診断されました。徐々に視野が欠けて見えない部分が多くなり、いずれは見えなくなる難病です。「何もできなくなる」と落ち込んだ時期もありました。

「いずれ失明」 復職は……

 何かちぐはぐなことが続いている。そう感じ始めたのは、30代後半の頃だった。次男の出産を機に看護師の仕事を辞め、男の子2人の子育ての真っ最中だった。

 夫の靴下の色の違いがわからない。濃いグレーと黒色のものを一対にしてしまい、夫に「なんで?」と言われた。道を歩いていてごみ箱につまずいたり、信号を見落としたりもした。

 それでも、目の病気とは思わなかった。そもそも、そそっかしい性格。指摘されて失敗に気づき、「やっちゃった」というぐらいに感じていた。「老眼かも」と眼鏡店で老眼用の眼鏡を買ったが、見え方は変わらなかった。

 「目がおかしい」と自覚したのは、2005年1月20日のことだった。朝起きると、目の前に黒い髪が何本も垂れ下がっているように見えた。手ではらいのけても、なくならない。看護学校で習った知識をたどり、網膜剝離(はくり)ではないかと、近くの眼科クリニックに駆け込んだ。

 目薬をさして眼底の状態を調べる検査などをした。「網膜剝離ではない」。医師からの言葉にほっとしたのもつかの間、続けてこう言われた。「ただ、正常な目の状態ではありません。別の難病の可能性があるので検査ができる病院へ行って下さい」

 翌日、急いで大学病院を受診した。眼底写真を撮ったり視野検査をしたりして3月に診断が出た。難病の「網膜色素変性症」。目の中で光を感じる組織である網膜に異常がみられる病気で、視野が狭くなったり、暗いところで見えにくくなったりする。

 「今の医学では根本的な治療法はありません。視力は徐々に落ちていき、いずれ見えなくなります」。医師の言葉に絶句した。一時的な視野の改善などが期待される薬は処方されたが、手術方法はないという。視力が悪くなるペースも人それぞれで、何年で見えなくなるのかも分からない。経過を見ていくしかないという。

 幼い2人の子育てが一段落したら、看護師の仕事に戻ろう。そう思い描いていた将来の予定が、何もイメージできなくなってしまった。

看護師復帰も視力悪化

 看護師資格を持っていたが、網膜色素変性症がどんな病気かすぐには分からなかった。インターネットで検索すると「失明する」「治療法がない」と出てきた。怪しげな民間療法の情報もあった。読むほどにつらくなった。「網膜色素」という言葉を見るのも嫌になり、調べるのをやめた。

 家族以外には、病気のことは伝えなかった。時間とともに、少しずつ視野が狭まり、見えない部分が増えていった。それでも、周りを何度か見回し、状況を判断したうえで慎重にしゃべり、行動することで、見えていないことを隠して振る舞った。「普通の生活」を続けたかった。―――

 診断から2~3年は、読み書きに不便はなかった。病院には3~4カ月に1度、検査へ行ったが、まぶしさを抑える遮光レンズの眼鏡をつくったぐらいだった。

 しかし、次第に手元を明るくしなければ文字の判別が難しくなった。やがて虫眼鏡が必要になった。携帯電話やスマホは、画面が大きくなれば見えるのではないかと、新機種を見つけるたびに買い替えた。計4~5台を買い、家族には「また、買ってきたの」と怒られた。

 見えなくなっていく自分を認められなかった。10年、病気を伝えたうえで採用された病院で、パートの看護師として復職した。医師も看護師の同僚も協力的だった。

 でも、視力の悪化は止まらなかった。虫眼鏡は専門の拡大鏡になり、どんどん拡大倍率も上がっていった。何をするにも、誰かに手伝ってもらい、確認をしてもらわなければならなかった。「1人では仕事が完結できないんだ」。自分を受け入れられず、追い詰められていった。

パソコン訓練で元気に

 視力の悪化が進み、仕事は2年で辞めた。

 「これまで簡単にできていたことが、できなくなっちゃった」。見えない自分と向き合うのは、つらかった。何もやる気が起こらず、しばらく自宅で過ごした。

 自分の努力だけではどうにもならないと考え、障害者手帳を申請すると、重度とされる2級に認定された。医療費の軽減のほか、拡大鏡などの支援機器を購入する際に自治体ごとの基準で助成も受けられる。

 半年ほどが過ぎたころ。失業手当をもらうために出かけたハローワークで、障害者対象の職業訓練があると知った。だが、視覚障害者向けのものは、職員に探してもらっても見つからなかった。

 何度か通ううちに、ある職員が「四谷(新宿区)に視覚障害者にパソコンを教えている施設があるそうですよ」と教えてくれた。文字がさらに読みにくくなっていて、スマホで短いメールを打つにも、30分~1時間ほどかかるようになっていた。「やってみたい」と感じた。

 調べると、社会福祉法人「日本盲人職能開発センター」(現・日本視覚障害者職能開発センター)のこととわかった。すぐに見学に出かけると、「こんなこともできるの?」と驚きの連続だった。全盲の人も、音声読み上げソフトを活用することでパソコンを使いこなしていた。

 13年3月から週2回、6カ月間の基礎コースの受講を始めた。音声読み上げソフトは、文章や漢字の字解きだけでなく、文章の位置や文字の大きさなどパソコンの画面上のすべての情報を読み上げてくれる。キーボードで入力する際も、入力内容を音声で知らせてくれる。機能を駆使すれば、文書やグラフなどの作成、電子メールの送受信ができるようになる。

 教室には、自分と同じように、見え方に困っている仲間がいた。ちょっとした生活上での工夫などを情報交換し、できないと思っていたことが、パソコンのほかにもどんどんできるようになった。めきめきと元気になっていった。

ITサポートの職員に

 基礎コースを終え、応用に進んだ。

 そこで、講師の一人で中途視覚障害者の継続雇用を支援する認定NPO法人「タートル」理事長の松坂治男(まつざか・はるお)さん(69)に出会った。全盲だが、iPhoneやiPadなどの機器を使いこなす姿に驚かされた。

 機器には視覚障害者向けの拡大鏡や読み上げ機能が内蔵されていた。画面を指で触れば内容を読み上げ、「色を反転」といった特定の動作や電子メールなどは音声入力でできる。すぐiPadを買い、講義の合間に使い方を教えてもらいに行った。松坂さんは、「石原さんの学ぼうという意欲がすごかった」と振り返る。

 IT機器は、目の代わりになってくれた。この楽しさをほかの視覚障害者にも伝えたい。石原さんがそう思い始めたころ、都内の病院で視覚障害者向けにITサポートをする職員の求人がセンターにあった。すかさず応募し、14年7月に井上眼科病院(東京都千代田区)への採用が決まった。

 同病院の「目の相談室」で、医師や視能訓練士らと連携しながら、患者らの相談に応じるようになった。IT機器の使い方だけでなく、日常生活のなかでの工夫も伝える。料理ができなくなって困ると聞けば、「揚げ物は、油の音で判断すればできますよ」など、自らの経験も踏まえて助言する。

 昨年12月中旬、都内であった視覚障害者向けの相談会。同じ網膜色素変性症の男子学生の親子が相談にやってきた。

 「そうそう、マンガはわかるけど、文字を読むのが難しいのよね」「いまは、LINEができるのが大切よね」。うなずき、スマホを手に持ちながら、便利な使い方を教えた。

 視力を失っても、工夫し、生活の質を落とさずに暮らすことはできると思う。「目が悪くなっても人生は終わりじゃない。一人で悩まず、あきらめず、相談してほしい」

<アピタル:患者を生きる・職場で>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(松浦祐子)

下の記事は、私が共著で発表した大野直則先生の論文(2015年)の翻訳紹介です。

Categorised in: 糖尿病網膜症・加齢黄斑変性 (網膜疾患)