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2018年10月18日

10204:モリヌークス問題とは。Davielの答

ジャック・ダヴィエルを調べていたらモリヌークス問題というのが出てきました。そのポイントを紹介してみましょう。

「生まれつきの盲人が成長するなかで、同じ金属でほぼ同じ大きさの立方体と球体を触覚で区別することを学び、触ったときどちらが立方体または球体であるかを言えるようになったとする。そして今、この盲人が見えるようになったとする。
問い:盲人が見えるようになった今、テーブルに置かれた立方体と球を、それに触る前に視覚で区別し、どちらが球体でどちらが立方体なのかを言えるか
?」というものです。

(1693年3月2日,ロックに宛てたモリノー(モリヌークス)の手紙)

多くの議論の後で、

フランスの外科・眼科医ジャック・ダヴィエルフランス語版)の手術例もディドロは『盲人に関する手紙』で取り上げている。ダヴィエルは紀元前から行われていた伝統的な白内障手術(墜下法)に新しい手技を持ち込んだ革新者である。その手術法は、水晶体を切ってそこから中の白濁したタンパク質を出す、というもので墜下法より難しい手技のため当初は広まらなかったが19世紀には主流となった。最初に行ったのは同じくフランスの2人の医師(Mītre-Jan、Michel Brisseau)で、手術中に失敗して後ろに水晶体が落ちず前眼房まで出てきてしまったので切って取り出した水晶体を調べて発表した(『白内障に関する新治験』1706,1707,1709)。ダヴィエルはこれを手順を整えた手術法として確立したのである。彼は22例の開眼症例をまとめ、「手術後、目の前に出された対象に触らず、眼で見ただけでそれとわかった患者はひとりもいなかった」(1762年)と報告している。[26] なおディドロはダヴィエルの手術に実際に何度も立ち会っていると『盲人に関する手紙』の補遺(1782年頃)で書き、ある時ダヴィエルは、中途失明者である鍛冶屋が手術後も触覚に頼る習慣に依存するため「回復された感覚を」使わせるため「彼を手荒く扱うことが必要」で「ダヴィエルは彼をなぐりながら、”見ないか、この野郎!……”と言ったものだ」という目撃談を伝えている[28]

以後の1800年代~1900年代の先天性および早期失明者の開眼手術例に関しては、日本の元良勇次郎・松本孝次郎(1896年)[29]黒田亮(1930年)[30]、ドイツのMarius.von.Senden(マリウス・フォン・ゼンデン)(1932年)[31] が症例を集め発表している。

1900年代後半から2000年代にかけては鳥居修晃・望月登志子が自身の観察例を含め、開眼症例を広範な角度から考察した論文・著作を発表している[32]

2003年、インド出身の科学者でボストンマサチューセッツ工科大学教授en:Pawan Sinhaは、プロジェクト・プラカシュ[33]の中でモリヌークス問題に答えるプログラムを立て、条件の合致する5人を2007~2010年にかけて外科治療を行った。結論的には、すでに鳥居・望月らの研究と同様「できない」であった。[34]

Categorised in: 神経眼科