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2019年12月2日

11347:納得できないまま、迷い道へ:若倉先生随筆です

清澤のコメント:眼科ケア12月号。眼瞼痙攣らしい患者さんを若倉先生は4分類に分けて論じています。(1)納得し、可能な治療管理を受けることを希望する。(2)何とか治してほしいと医師に迫る。(3)納得できず、別の施設に行く。(4)引きこもってしまう、だそうです。(1)なら私でも対応可能。(2)はとりあえず私で対応可能だが、(3)に流れる人も出て来る。(3)なら、「ここ以上にこの患者さんの話をゆっくりと聞いてくれるところは他にはあるまい」と思いつつ、「いつでも戻っておいでください」との言葉を添えて、紹介状は書かせていただく。(4)引きこもってしまう人もいるし、最悪は自殺に終わり無力感に打ちのめされたこともある。「公的な救済制度は必ずしも機能しない」は、その通りである。ここで公的な救済制度が必要と思っているところが、若倉先生ならではの優しさであろう。眼科ケアをお買い求めください。

―――引用開始―――

私の提言、苦言、放言 井上眼科病院名誉院長 若倉 雅登

第162回納得できないまま、迷い道へ

私たちはたいてい取り立てて何か疑念を抱くことなく、日々を過ごしているのだと思う 会社員は決められた時刻までに勤務地へ行き、そして、その日のスケジュールをこなし、何事もなく帰路について目宅に戻り、やがて寝る。その間に三度の飯を食い、誰かと談笑もする.それを、別に嬉しいとも、楽しいとも、価値があるとも、平穏だとも思わない。

 このように目先にあるやらなければならないことには、一応、目や頭を向けているかもしれないが、背景に何か大きな事案の胎動があることや、災害が迫っているかもしれないこと、戦争や紛争に巻き込まれるかもしれないこともたぶん知らずに渦ごしている。だが、いったん問題が自分の病や不調のことになると、いささか真剣になるようだ。とくに、高齢になるとますますその傾向は強まる。身体のどこかが痛かつたり、不具合を感じたり、異常感があったり、苦しくなったりすれば、これはいったい何だと一気に不安になる。そういった状態で、日常をこなすことは極めて難儀なことになる。

 そういう状態になると、誰もがまず考えるのが「医者に行ってみよう」ということだ。身体のどこか一定のところに不具合を感じれば、どの科を受診すればよいかほぼわかるが、身体のあちこちに支障があると、どこに行けばよいかわからない。ここで結構運命が変わる。たとえば「眼瞼けいれん」ではよくみられることだが、ほとんどの患者はまず目の問題と思って、眼科を訪れる。受診した眼科では神経眼科の知識と経験が乏しい場合には、日に異常はない、あるいはドライアイの点眼薬を処方される。しかし、症状は一向によくならない。次に行くのは、内科や脳神経外科が多い、そこでもMRIなどに異常が出ないから、結局、精神科や心療内科を紹介されるか、自分で行くことになる。そこでは、器質的な病気がないならと、安定剤や抗うつ剤が処方されるが、症状は悪化するなどで解決に至らない。こうして、診断がつくまでに何年も、あるいは何十年もかかり、診断がついても極めて治りにくくなってしまつた例を少なからず、私は外来でみている。

さてこのように、診断までにこじれてしまつたケースはどうなるか。いくつかの類型ができる.

(一)それは仕方がないと納得し、現在、可能な治療管理を受けることを希望する

(二)何年も無駄にし、したいことができなかったので、何とか治してほしいと迫る

(三)治せない病気だということに納得できず、別の施設に行くか、行くことを希望する

(四)引きこもってしまう

 この病気は診断さえつけば、どういう経緯でこのような病になったのか、推定メカニズムの説明が可能である。加えて、治りにくい性質の病気で、現状では根治療法がなく、うまく付き合つてゆかねばならない病気であることなども私は説明する。それで、およそ三分の二の人は病気の内容や、診断に時間がかかってしまった経緯を理解し、納得する。これが(一)に相当する忠者であり、こうなることが最書であると思う。しかし、過去の診断や治療が不適明であったことを過度にこだわり、治るまでは自分は何もできないと主張するのが(二)である,納得できない気持ちはわかるが、これでは不幸であるi「治らない病気」と聞いて、病気自体の性質を理解する努力はせずに「治してくれる」ところを探す。これが(三)であり、「治せる」「大丈夫」などと甘い言葉を掛けるところなら民間治療だろうと、宗教まがいだろうと構わずに探し回る。こうなると、理性はどこかへ行ってしまう。

臨床医学に高い信頼と期待を持っているのだろう、どうしても治療や診断の限界を理解できない人、治らない病気だということをわかろうとしない人は一定数いるようで、こうなると医学的対応は断念せざるを得ない。いきなり(四)に行く人はほとんどいない。

(一 )〜(三)の過程で、本人が期待するとおりにならないと、迷い道に入り、結局(四)か、それに近い状態になる。これも少数だが、残念ながら存在する。こうならない方策としては、医学ではなく福祉の出番だ。しかし、心身ともに最重症の(四)の状態でも公的な救済制度は必ずしも機能しないのが現状である。――引用終了

Categorised in: 全身病と眼