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2019年10月27日

11233:壮絶…奇跡的に生還したパイロットが「墜落した瞬間に思ったこと」;その6

清澤のコメント; https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191027-00068014-gendaibiz-pol&p=7

海軍軍医学校は現在の築地がんセンターか?有茎皮弁で頬から眼瞼を形成し、眉は頭皮を移植したと読める。

(注;再建手術について:皮弁とは;「血流のある皮膚・皮下組織や深部組織」であり、強度と柔軟性・Volumeを再現できます。大きな組織欠損、死腔のある部位、陥凹のある部位、関節部、腱・骨・人工物の露出部などに適応があります。血管をつけたまま移植部位へ移動する「有茎皮弁」と、血管を切り離してマイクロサージャリーによる吻合を要する「遊離皮弁」があります。)

--記事を抄出--

 ーー頭痛がひどく、出血多量のせいか、ときどき気が遠くなってしまい、上昇と下降を繰り返しながらようやくブイン上空にたどりつきました。

ーー低空すれすれを飛んで、風防を開けて手でどけろ、という合図をして、みんなを滑走路からどかせて、決められた誘導コースよりも低空で飛行場にすべり込み、一発でうまく着陸できました」

飛び出した右眼球を手で押さえながら

 墜落状態にあった零戦を驚異的な生命力で立て直し、着陸させた渡辺さんは、戦闘指揮所前まで飛行機を滑走させ、エンジンを停止させると、それきり気を失った。

 渡辺さんの傷はすさまじく、炸裂弾の破片で、右顔面の目から鼻にかけての骨と肉が吹き飛ばされ、しかも顔面には無数の弾片が刺さっていた。この日、渡辺機が着陸したときの模様を、同じ部隊の零戦搭乗員・中村佳雄さん(飛曹長/1923-2012。戦後、造材業)が記憶している。

 「搭乗員が降りてこないので、これはやられたなと思って駆け寄ると、渡辺さんが2~3人の整備員にかかえられて、飛び出した右眼球を手で押さえながら血だらけの姿で降りてきて、あまりの大怪我に思わず息を呑みました」

 渡辺さんは8月30日、この方面の海軍の最高指揮官である南東方面艦隊司令長官・草鹿仁一中将より、「武功抜群」と記した白鞘の日本刀を授与され、9月13日、病院船「天應丸」に転院、そのまま内地に送還された。

 東京の軍医学校で弾片の除去手術を受け、次いで傷の治療、それから整形手術。右眼窩から頬にかけて、顔の砕けた骨をとる。そして、胸の肉を幅5センチ、長さ20センチの短冊状に、短辺の上部を残して切り取り、切ったほうを持ち上げて首に縫合する。これは、切った肉に血を通わせるための処置である。首につけた部分がなじんだ頃を見計らって、胸に残っていた短辺を切り、それをまた持ち上げて頬に縫合する。この部分が頬になじめば、首につけた部分を切って、頬に縫合する。こうして、胸から切り取った肉を、血流を絶やさずに首を経由して移植する、手間と時間のかかる復元手術だった。

 「戦争中は、こういった症例が無数にありますから、整形の技術は進んでたんだと思います。なくなった眉をつけるのには、傷のある場所を避けて少し位置がずれてしまいましたが、頭の皮膚を移植しました。はじめは毛髪と同じ毛が生えてきますが、その場所になじんでくると、だんだん眉毛のようになります。右眼は義眼になりました」

 話が手術におよんだとき、渡辺さんが、

 「だからいまでも、私の顔の右半分には骨がないんですよ」

 と言った。

 「さわってみますか?」

 おそるおそる、手を右頬骨のあるべきところに触れてみると、確かに骨の感触がなかった。右眼窩から鼻、頬骨にかけての骨が吹き飛ばされても、この人は健康に生きていて、いま、不自由なく会話を交わしている。そのことが、奇跡のように思えた。

Categorised in: 全身病と眼