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2021年9月19日

13106:退官後小柳美三教授は懐中電灯一本で開業したという。

東京医科歯科大学を離れて、南砂町駅前に開業して15年。従業員の方々の多大なる支援を得て、診療所は個人開業から医療法人へと発展し、従業員数も医院の面積も3倍に大きくなりました。コロナ感染症の流行などの困難にも直面しながらも、順調に運営を続けることが出来てまいりました。昨年3月に、新理事長に日本医科大学志和教授を迎えて、医院の更なる発展を目指して経営の譲渡をいたしました。その後、本年8月31日をもって清澤が院長を退任し、志和先生に院長職も兼任していただくことになり、私清澤は名誉院長に就任しました。(深志清流会)清澤眼科医院は今後、名称変更などもあるでしょうが、白内障手術などの方向に診療を一層盛んに広げてゆく方向であると理解しております。

 清澤眼科医院での私が診療に出る時間も減り、神経眼科外来(石川弘教授)及び神経内科外来(浅見医師)、緑内障外来(伊藤医師)、神経心理外来(小野木先生)、網膜外来(寺松医師)の外来も終了になりました。このため、私の神経眼科の診療は眼瞼痙攣に対するボトックス施療を中心とした継続診療患者さんを中心としたものに縮小させていただいております。神経眼科疾患に関しましては、(矢印でリンク⇒)神経眼科学会ホームページの神経眼科相談医の先生一覧などもお頼りください、

 今回、自由が丘の永富眼科様が都市再開発の為、近々閉院になるのを受け、近隣の一誠堂美術館二階に11月1日を目指して「自由が丘清澤眼科」を新規に開業させていただくことを目指して、準備を進めております。(この事情は引き継ぎ元の永富眼科様のホームページに先日公表されましたので、こちらにも紹介を始めます。)http://www.myclinic.ne.jp/nagatomi/pc/info.html

 フォークト小柳原田病の発見者で知られる小柳教授は、終戦後大学教授を退官され、仙台市内で眼科医院を懐中電灯一本で静かに開業されたと伺っております。私もその故事に習い、従業員2人も程度で、ささやかな診療所を始めたいと思っています。

 下の記事は2010年に私が記載したものですが、小柳教授の「われわれ医学に携わる者の場合には患者が常に新しい問題を提起してくれる教師だから、その問題を解いて、清書した立派な答案を呈出するか、それとも落書きでごまかして済ませるか、それは、君自身が決める事だ。」と、弟子に教えたと私の神経眼科の師の一人である桑島先生は私に伝えられました。「懐中電灯一本の覚悟こそ嘉し」と心に刻み、新たな道に向かいたいと思います。

2010年8月17日

1600 批判精神の系譜、日本近代史における小柳美三 を読みました。


 小柳美三というのは東北大学眼科学教室の初代教授を務めた偉い先生です。

 私は、その遥か後に東北大学の門をくぐった者ですが、この名物教授のお話は先輩方から何回となく伺いました。私が専門にした神経眼科学の桑島治三郎教授は、この本にも何度となく出て見えますが、この小柳教授には特に目を掛けられ、小柳教授の墓碑の制作にも働かれた方です。

小柳先生は、”われわれ医学に携わる者の場合には患者が常に新しい問題を提起してくれる教師だから、その問題を解いて、清書した立派な答案を呈出するか、それとも落書きでごまかして済ませるか、それは、君自身が決める事だ。と、おっしゃったとこの桑島先生は伝えています。

 小柳先生の墓石は本では等身大とされていますが、仙台1中の隣に有った小柳教授の墓石は、確か50センチを超えない細長く丸い小さなものであった様に記憶しています。私が下宿していた家のすぐ裏でしたから、私は自分の眼でそこを通るたびに見ていました。

 この桑島先生が先の大戦に招集されて、山形の連隊に出征する日に、教室の仲間が仙台駅に集まって万歳で送ってくれた中には、小柳美三元教授の姿がなかった。しかし、次の停車駅北仙台で小柳教授は待っていて、壮行のことばを掛けてくれたという心やさしい小柳教授の話を、私は桑島先生の生前に伺っています。

 東北大学近辺には小柳のカーブと言う伝説もあります。
眼科は大学の設置よりも遅れて新しくできた教室ですから、北四番丁に面した所にありました。市電の軌道を敷設した時に、大学の敷地を削って市電のレールを直線にしようという案が有ったのだそうです。

 これに対して電車が窓近くを走られては煩くて研究にならない、と言って反対したのがこの小柳教授だったというのです。それ以来、あの教室の角を曲がる市電は大きくS字に揺れて、反対派の教授をしてこの小さな軌道の揺らぎを”小柳のカーブ”と呼ばしめたというのです。

 この話は確か、眼科入局前の学生時代に同級生の赤石君のお父さんに伺った話です。赤石先生は解剖学の布施現之助教授が退官された後でも、布施教授を囲む読書会を開いていたという事ですから正に正統布施派の人物。この本を読んでみると、東大出と京大出の教授の対立、基礎医学と臨床医学の教授の対立の中で、小柳教授と布施教授の中の悪さは有名だったそうですから、なるほどと思いました。

 小柳と言えばフォークト、小柳、原田症候群です。私が留学中に日本のどこから来たと説明しても、そんな大学は知らんと言う態度だった同僚が、小柳学派の末裔だというと、決まってVKHの小柳だね?と旧知の友人を見るように対してくれたのを思い出します。原田先生は東大の助手、小柳先生は京都大出で東北大の教授という事もあるのでしょうが、原田病という言葉を使う方々は東大の流れには多いと思います。しかし、本文の中で、”現在ではフォークト小柳原田ではなく、原田病と呼ぶことが多い”という記述は、ちょっと違うのだけれどと思いました。

 この本が出版されたのは2006年8月、としますと生前の桑島治三郎先生にもこの本は見ていただけたのだろうかと思ったことでした。私などはもう孫の世代ですから役にも立ちませんが、この著者が仙台の眼科の同窓生たちにお会いになったら、もっともっといろいろな小柳先生を囲む人々の姿が見えただろうと思いました。

 小柳教授のもとで”助教授を務めた阿部、三田、今井、林、鬼怒川等々の助教授”というくだりが有りますが、私が存じ上げているこの御名字の先生方は、これらの諸先生の子供またはお孫さんという事になります。

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