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2021年8月27日

13066:日本科学未来館新館長、全盲のIBMフェロー浅川智恵子さんが記者会見

開館20年で毛利衛さんから交代、その背景は

眼科医清澤のコメント:私の医院がある江東区の台場に有る日本科学未来館は宇宙飛行士の毛利衛さんが館長を務めることで長年知られてきた。その新館長に全盲の女性研究者が就任したという事である。この方の前職はIBMフェローという事で、単に全盲だから就任したという事ではない。また、公務員の天下り先という事でもない。これは大変喜ばしい事であろう。国立のセンターという所は何かと伏魔殿化しやすいものだが、新館長の活躍に期待したいものだ。

それにしても小学校時代のプールでのけがが元で視力が衰え始め、中学2年生で失明した (wikipediaでは、小学校時代に、プールで泳いでいた際に頭を壁にぶつけて怪我をし、視神経を痛めたのがもとで徐々に視力が衰え始め、中学2年生のときに失明。) という病歴はなんとしたことだろう?外傷を機に網膜剥離でも患われたのであろうか?

  ーーーー記事抄出ーーーー

高橋真理子 朝日新聞科学コーディネーター

2021年08月27日

 東京・台場地区にある日本科学未来館の館長が今年4月、毛利衛さんからIBMフェローの浅川智恵子さんに代わった。2014年から米国で研究生活を送ってきた浅川さんは、新型コロナの影響で帰国が遅れ、8月25日に就任後初の記者会見に臨んだ。

 浅川さんは、1985年に日本アイ・ビー・エムに入社して以来、「障害者が困っていることを技術で助ける」という研究を一貫して続けてきた。会見では「科学未来館が誰にとってもアクセシブルなミュージアムとして世界のモデルになるようにしたい」と抱負を語った。

 開館から20年たって初めての館長交代。初代館長が長く務めた背景とともに、未来館のこれからを探ってみたい。

視覚障害者のためのシステム開発でIBMフェローに

 浅川さんは62歳。小学校時代のプールでのけがが元で視力が衰え始め、中学2年生で失明した。追手門学院大学英文科を卒業後、日本ライトハウスでプログラミングを学び、日本IBM東京基礎研究所に入った。「日本語デジタル点字システム」「史上初の実用的な音声WEBブラウザ(ホームページリーダー)」などを開発し、注目されるようになった。2009年にはIBMフェローに就任。これはIBMにおける最高技術職位で、卓越した技術で継続的に貢献した技術者の中から任命される。日本人で選ばれたのはノーベル賞を受賞した江崎玲於奈氏を含めて6人だけだ。

 2014年には米国のコンピューターサイエンスの最高峰の一つ、カーネギーメロン大学でIBM特別功労教授に就任。以来、米国を拠点として研究を続けてきた。

 文句なしの業績を持ち、著名人でもある浅川さんは、科学未来館のトップとしてまさにドンピシャリだろう。一番ふさわしい人を選んだら、たまたま女性で、たまたま障害者だったのだ。記者会見でのやりとりを聞いても、女性を「お飾り」的にとらえる日本社会の旧弊を打ち砕いていくだろうことを確信した。

科学技術庁の主導で誕生した科学未来館

 未来館は、2001年3月に建物が完成し、同年7月9日に開館した。1995年に科学技術基本法が成立し、5年ごとに作ることになった科学技術基本計画で「科学技術と社会のコミュニケーションの重要性」がうたわれたのを受けて造られたものだ。

 上野に国立科学博物館があるのになぜ? という誰もが抱く疑問に対しては、当時は省庁再編の前で文部省と科学技術庁が分かれており、科学技術庁が科学技術振興のためにつくったのだという答えになる。北の丸公園には科学技術館があるが、こちらは1964年開館で何せ古い。しかも経済界の協力で誕生したという経緯から産業技術の紹介に力点が置かれており、未来志向の科学館を新たに造ろうということになったのだった。臨海副都心地区を活性化したいという「大人の事情」もあった。

 初代館長には宇宙飛行士の毛利衛さんが就任した。当時、朝日新聞の科学技術担当の論説委員だった私は、設立後間もない時期に同館で開かれた「外部識者から意見を聞く会」に参加して驚いたことがある。会議室に入ってみたら、館長のほかに理事長がいたのだ。

 未来館を企画・設立したのは科学技術庁の外郭団体「科学技術振興事業団(現在の科学技術振興機構=JST)」で、運営はそこから財団法人の「科学技術広報財団」に委託されていた。運営の責任者は財団の理事長だったのである。

「事業仕分け」で二重構造が解消された

 科学未来館には「長」が二人いる、という組織運営の二重構造の問題点は、民主党政権が実施した事業仕分けで指摘された。その結果、財団への運営委託は取りやめとなり、JSTが直轄運営することになった。

 毛利さんは今年3月29日に公表した「退任あいさつ」で「当初、スタッフが所属する組織と館長が所属する組織が異なり、意思の統一が行えず、国際科学館協会からその弱点を指摘されました。2009年、政府の行政刷新会議(当時)による、いわゆる『事業仕分け』を乗り越えることで、館長が直接職員に展示ビジョンを共有し、ミッションを実践できる世界標準の組織になりました」と率直に語っている。

 毛利さんの在任20年は常識的に考えれば長すぎるが、ご本人としては「本当の館長」として仕事ができたのは2009年以降だという思いがあったのかもしれない。浅川さんの任期は10年。日本社会の常識からすれば、これも長いと感じる人が多いだろうが、それはこういうポストが天下りの指定席だった時代の常識である。もはや天下りの指定席は(建前上は)存在しない。研究者や技術者として業績を挙げた人が自分のカラーを出していくには10年ぐらいの任期がちょうどいいのではないか。

来場者とともに「未来をつくる」科学館

 浅川さんは2020年に視覚障害者のためのナビゲーションロボット「AIスーツケース」を発表している。キャスターとハンドルがついたスーツケースの中に機械が入っていて、外にはカメラとセンサーがあり、スーツケースの中のAIがハンドルを持つ視覚障害者の歩く先をナビゲートしてくれる、という装置だ。開発途上の装置だが、未来館の中で試用して、一般来場者にも使っているところを見てもらいたいという。

 視覚障害者にとって情報を入手するのはかつては大変だったが、点字ソフトや読み上げソフトができてどんどん洗練され、ハードも格段の進歩を遂げた結果、情報のアクセシビリティ(獲得しやすさ)は想像できなかったほどに向上した。しかし、モビリティ(移動)についてはまだまだ人の助けを借りる場面が多いと浅川さんはいう。そのブレークスルーを目指すのがAIスーツケースである。

 また、コロナ禍でオンライン会議が増えたが、浅川さんによると画像情報が入ってこない視覚障害者は自分がしゃべっても聞いている人が本当にいるのかわからず、困惑したという。「どうすればもっと臨場感のあるコミュニケーションができるのか、みんなのアイデアを集め、それを実際に試してみて探っていきたい」と、すぐに研究テーマにするところが浅川流だ。

 障害者の社会参加をテクノロジーで促す。これが浅川さんのライフワークである。彼女は館長就任が決まった2020年4月からスタッフたちとテレビ会議を通じて議論を重ね、10年後を見据えた「Miraikanビジョン2030」をまとめた。未来館を「あらゆる人々が立場をこえて、場所をこえて、つながり、ワクワクし、わたしたちの未来をつくりだすプラットフォーム」にしたいと宣言するものだ。

 ミュージアムは、来場者が情報を受けとるだけの場所になってはいけない。さまざまな課題解決や未来社会づくりに向けて、研究者と一緒になって、来場者(あるいはネットを通じた参加者)が年代や国籍、障害の有無などに関係なくアイデアや取り組みを生み出し、さらには社会に広めるための実験を行っていく。そんなアクティブな場所になっていることが10年後に思い描く姿である。

 おそらく、未来館は浅川さん自身が手掛ける研究開発のプラットフォームにもなるのだろう。それはそれで、新しいミュージアムの姿だと思う。

 科学未来館が、いろいろな意味で日本の旧弊を打ち壊していくことを期待する。

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Categorised in: ご近所の話題