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2021年7月11日

12982:天子蒙塵(浅田次郎)を読んで居ます:永田鉄山とは

清澤のコメント:満州における謀略の数々が描かれていますが、世の中では統制派と皇道派の争いとして理解されており、最終的には皇道派が2.26事件で暴発して、東条英機ら統制派の勝利に至るとの理解かと思います。この小説の今までに読めたところでは、当時、統制派の頭目であった永田鉄山が大変に理性的な人物として描かれています。この人物の最後が気になってグーグルを見たら、彼が殺害されたのが有名な永田鉄山暗殺事件だったのですね。記事によれば、現場に居合わせた軍人は緑内障や白内障を患っていて視野が狭かったという説明もあったのですが、こんなところに眼科疾患が出てくるのにも驚きました。

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殺害者の相澤は1935年8月12日午前9時30分頃陸軍省に到り、午前9時45分頃、軍務局長室に闖入して直ちに軍刀を抜いて永田に切りかかり、次いで刺突を加えて殺害した。

事件を受けて、綱紀粛正のため陸軍省では9月から10月にかけて首脳部の交代が行われた。

なお、事件発生時は永田は軍務局長室で陸軍内部の綱紀粛正(過激さを増していた皇道派の青年将校に対する抑制策)に関する打ち合わせを行っており、兵務課長・山田長三郎大佐と東京憲兵隊長・新見英夫大佐が在室していた。新見大佐は怪文書について報告しており、軍務局長の机の上には、「粛軍に関する意見書」が開かれていた。相沢の襲撃に気づいた新見大佐は、永田をかばって相沢に斬りつけられ、重傷を負ったが、山田大佐は局長室から姿を消していた。新見大佐が相沢中佐の入室発見が遅れた理由については、戦後、新見大佐の治療にあたった長田眼科の長田昇医師が視野狭窄について証言している。(岩田礼著「軍務局長斬殺」) 。

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