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2021年5月6日

12836:柘榴坂の仇討を文庫本で読みました。

清澤のコメント:新田次郎著、柘榴坂の仇討を文庫本で読みました。次に引用するストーリーに良くあらすじがまとめられています。場面は新橋ステーションとか、桜田門とか、そして品川駅西側の柘榴坂とか、見た覚えのある場所が舞台です。コロナ禍で東京オリンピック開催の可否が論じられている現在、明治維新に似た時代の変革期が近づいてきている予感がします。

柘榴坂の仇討』(ざくろざかのあだうち)は、浅田次郎による短編小説。『中央公論』(中央公論新社)2002年2月号に掲載され、短編集『五郎治殿御始末』(ごろうじどのおしまつ)に収録された。2014年9月には映画化された。

ストーリー

彦根藩の下級武士・志村金吾は、家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老井伊直弼の近習に取り立てられる。直弼の人柄に惚れ込んだ金吾は、命に代えても直弼に仕えることを誓った。しかし、安政7年の桜田騒動の際、金吾は下手人・佐橋十兵衛を追いかけ行列を離れてしまい、その間に直弼は水戸浪士たちに討ち取られてしまう。主君を守れなかった大罪を犯した金吾に対し、彦根藩は打ち首の処罰を考えたが、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、その代わりとして「水戸浪士たちを討ち、直弼様の墓前に首を供えよ」と命じる。仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、水戸浪士たちは見つからず、金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。失意に沈む金吾だったが、妻のセツに支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。

桜田騒動から13年が過ぎた明治6年。既に彦根藩は存在せず、新政府の改革により武士も姿を消していた。しかし、金吾は13年前の命令を果たすため、ひたすら仇を探し続けていた。桜田騒動に関わった水戸浪士たちも江戸から明治へと時代が移る中で次々と死んでいき、唯一人生き残っていたのは、金吾がかつて追い詰めた十兵衛だけとなっていた。その十兵衛は既に刀を捨て、「直吉」と名を変え車夫として生きていた。

司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助は、武士としての矜持を持ち続ける金吾の姿を見て力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部に相談を持ち掛ける。同じ武士として金吾の助力を快諾した秋元は、金吾に十兵衛の居場所を教える。金吾は即座に十兵衛のところへ行くが、その日、新政府は「仇討禁止令」を布告する。

十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛が自分と同じように両親を失い孤独に生きてきたことを知る。人力車が柘榴坂を登り切ったところで十兵衛は車を止め、「自分を討ってくれ」と願い出る。金吾は自分の刀を与え、十兵衛に一騎討ちを願い出る。金吾と十兵衛は一騎討ちの末にもみ合いになり倒れ込み、十兵衛は再度自分を討つように願い出る。十兵衛を討とうとする金吾だったが、「命懸けで国を想う者を無下にするな」という直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出し、十兵衛に「新しい人生を生きてくれ」と諭し、十兵衛はその言葉を聞き泣き崩れる。一騎討ちの後、十兵衛は自分を慕ってくれているマサとチヨの母子の元に戻った。一方の金吾はセツの元に向かい、これまで自分を支えてくれたことに感謝の言葉を伝え、共に家路につく。

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