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2021年4月15日

12789:【合戦解説】天正壬午の乱 【後編】 徳川 vs 北条 ~信長の死で織田軍が引き上げた甲斐・信濃領を巡り三つ巴の争奪戦が始まる 〜

YUKIMURA CHANNEL 時は安土桃山時代 天正10年(1582年)6月2日 明智光秀の謀反により 京に滞在中の織田信長、信忠 親子が共に亡くなってしまう 「本能寺の変」 …

木曽氏の武田家への寝返りにより、一旦は木曽家の領地となった筑摩郡(深志城、現在の松本市)が如何にして小笠原を領主とするに至ったのか。織田信長が倒され、信濃に進出していた森氏などが信濃がら逃げ出した後、その地を抑えたのが越後の上杉であった。直江兼続の支援を得た元国主小笠原はどさくさ紛れに深志城を取り、東筑摩郡も小笠原の領地となった。手薄になった東信濃に進行した北条の大群はかくして上杉軍と千曲川をはさんで対峙した。その時、徳川軍は甲斐に入り、伊那谷と木曽谷の木曽氏の支持を得て南信濃を抑えた。これを見て北条氏は徳川に退治しようとしたが、この時に真田の裏切りに合い、碓氷峠への退路を断たれることとなった。秀吉の仲介でこの北条と徳川の対峙は和解となった。この結果、信濃と甲斐とは徳川の勢力圏となりこの天正壬午の変は終わりを告げたのであった。

前編はこちらです。

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