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2020年10月26日

12386:個人と家はともに必要;武田邦彦氏の動画の紹介です。

清澤が聞き取ったお話の要旨は次の通り:人には家が必要。人体は自分が半分で細菌等が半分の集合体である。同様に、人も個人より家という集合体の方が個々にとっても有利である。日本人は戸籍が有って当然と思うが、世界で戸籍が有る国は7か国のみ。それも日本に関係があった国が多い。日本では人は時の流れの中で生きている。日本人はありのままの状態を認めてきた。

個人主義の欧米では社会保障制度に基づいた住民登録はあっても、どこまでも人の出自を辿れるような戸籍に相当するものは存在しない。武田氏はこれも日本社会の特徴だという。:ウィキペデイアを見ると、儒教文化圏の中国や韓国でも戸籍は既に形骸化しており、現状では戸籍が日本固有の物だという指摘には驚いた。個々の細胞よりも動物植物などの個体の形の方が生き残るのに有利であることから、人でも家が重要という所に話を敷衍する武田邦彦先生の議論には多くの反論も予想されますが、武田先生ならではの議論と感じました。

【武田邦彦 10/22新着】もしあなたがコレを持っていないのなら大至急手に入れてください! コレを持ってない人の末路は・・

61,561 回視聴•2020/10/22

戸籍とは:

古代以来の中国の華北社会では(こ)と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。そのため政権が社会を把握するために個々の戸の把握が効果的であり、支配下の民の把握を個人単位、あるいは族的広域共同体単位ではなく、戸単位で行った。この戸単位の住民把握のために作成された文書が戸籍である。中華王朝や漢民族世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍を基礎として行われ、日本、朝鮮半島国家など周辺地域の国家でも戸籍の制度は踏襲された。

日本では律令制を制定して戸籍制度(→古代の戸籍制度)を導入した当時、在地社会の構造は華北のように戸に相当する緊密な小家族集団を基礎としたものではなかった。平安時代になって律令制衰退後、朝廷による中央政府が戸籍によって全人民を把握しようとする体制は放棄され、日本の在地社会の実情とは合致しなかった戸籍制度は、事実上消滅した。地域社会の統治は現地赴任国司筆頭者(受領)に大幅に権限委譲、さらに受領に指揮される国衙では資本力のある有力百姓のみを公田経営の請負契約などを通じて把握し、彼らを田堵・負名とし、民衆支配はもっぱら彼ら有力百姓によって行われるようになった。その後、上は貴族から下は庶民に至るまで、(いえ)という拡大家族的な共同体が広範に形成されていき、支配者が被支配者を把握しようとするとき、この自然成立的な「家」こそが把握の基礎単位となった。

全国的な安定統治が達成された徳川時代の幕藩体制下でも、住民把握の基礎となった人別帳は、血縁家族以外に遠縁の者や使用人なども包括した「家」単位に編纂された。明治時代になると、中央集権的国民国家体制を目指すため、「家」間の主従関係、支配被支配関係の解体は急務であった。戸籍を復活させて「家」単位ではなく「戸」単位の国民把握体制を確立し、「家」共同体は封建的体制下の公的存在から国家体制とは関係のない私的共同体とされ、「家」を通さずに国家が個別個人支配を行うことが可能となった。このように戸籍制度の復活は封建的な主従関係、支配被支配関係から国民を解放するものであったが、完全に個人単位の国民登録制度ではないため、婚外子、非嫡出子問題、選択的夫婦別姓問題などの「戸」に拘束された社会問題も存在する。これに対し、国民主権時代の現代では、より個人が解放された制度を目指して、戸籍制度を見直す議論も存在する。これらのうち、婚外子・非嫡出子問題については、2013年9月4日、相続において婚外子を差別する民法の規定が違憲であるとの判断を最高裁判所が下した。(以下略)

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