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2020年9月29日

12298:退学希望者が続出「幻滅大学」の酷すぎる実態,コロナで浮き彫りになった格差:ネット記事紹介

清澤のコメント:コロナ禍に置けるのオンライン授業やテレワークの視覚の健康に対する影響が気になっています。今日のニュースに「退学希望者が続出「幻滅大学」の酷すぎる実態 コロナで浮き彫りになった格差」という記事が出ていました。目の健康に限らず、住民に直接接するクリニックでも、情勢に対して積極的に働きかけようという手を打とうとするか?あるいは従来のまま来た患者に診療を続け、患者数の減少を嘆いているのとでは、おのずとその成果には差がついてくるでしょう。私は、コロナ禍の中で、電話再診を極力受けようとしてきただけでなく、暇な時間には清澤眼科医院通信にも広めの視野では投稿を続け、また旧知の友人である新聞記者さんの助けも得て、日刊ゲンダイ「教えて清澤先生、みんなの眼科教室」への発信を比較的積極的に行ってきました。今日は大学の格差についての記事を抄出紹介します。組織の基本的な態度が重要なようです。

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2020/9/18 07:30 (JST) ©株式会社全国新聞ネット

(抄出)

 新型コロナウイルスの影響でリモート授業が続く大学。ある大学の調査では1割もの学生が変わらない学費などに不満を募らせ、退学を検討していると回答したという。日本の大学で今、コロナ禍の対応に大きな格差が生じ、学生に寄り添う「優良大学」と、真摯に対応しない「幻滅大学」への二極化が浮き彫りになっている。社会学者で『大学改革の迷走』(ちくま新書)の著書もある佐藤郁哉・同志社大学教授が、幻滅大学のお粗末な実態や日本の大学の問題点について明らかにする。

 ■新島襄の2つの言葉

 4月以来、新島襄の墓所に赴き、日本の大学が直面している「未曾有の危機」に思いを巡らす機会が増えてきた。新型コロナウイルス感染症の拡大という危機は、高等教育のあり方に対して根源的な問いを突きつけるとともに、各大学が抱える固有の問題を明らかにした。

 新島が後世に遺した「機械的の製造場」と「倜儻不羈(てきとうふき)」という2つの言葉は、問題の背景を理解し、大学を再生していく重要な手がかりを与えてくれる。

 ■コロナで見えた「優良大学と幻滅大学」

 最近ある経済誌に「コロナで見えた優良企業と幻滅企業」と題した特集が掲載された。もじって言えば「コロナで見えた優良大学と幻滅大学」。「できることからすぐに始めた大学、できない理由を探し続けた大学」。

 実際、組織規模や財政基盤などで同等の条件の大学間でも、①経済支援②精神的なケア③遠隔講義への対応、3 点において明らかな違いが見られた。かなり早い時期からきめ細かな対応をしてきた大学がある一方、小出し・後出し的な対応に終始した大学もあった。

 天理大学では既に3月の段階で、教員を総動員して学生一人ひとりに電話で連絡を済ませていた。その上で、刻々と変わる情勢への対応について、学生がオンラインで確認できる体制を確立。また、全学生に通信環境(インターネット接続、所有機器の確認等)の調査を行い、リモート講義のスムーズな導入へとつなげていった。

 ■「できない理由」探し続ける大学

 その一方「できない理由を探し続けてきた」としか思えない大学があったことも事実だ。それらの大学は、情報や支援の提供が遅延しがちであり、また各種の手続きが非常に理解しにくいものだった。

 また、リモート講義では、Zoom やYouTube、大学独自の学習管理システムなど講義ごとに異なるプラットフォームにアクセスしなければならない。しかし、それぞれの使い方や受講に必要な通信量について、学生はもちろん教員に対してすら十分な説明がなされてこなかったのだ。

 コロナ対応は、各大学の組織体質とリーダーシップのあり方を如実に示した。それは、広報戦略(見せ方)の巧拙という問題を越え、より根源的なレベルで、最も重要な「ステークホルダー」の学生に対し、どう向き合ってきたかを明らかにしていたと言える。

 ■このままでは「母校」になれない

 大学間に見られたコロナ対応の違いの背景について理解する上で示唆に富むのは、新島の遺言に見られる「機械的」という言葉だ。

 全国には、今や4 年制大学だけでも800 校近くがあり、およそ290 万人の学生 と19 万人の教員が在籍している。高等教育の大衆化は、一面では学ぶ機会の拡大と平等化をもたらしてきた。しかし他方で、多くの大学で組織規模の拡大と官僚制化、つまり「機械的」な組織運営への傾斜を生み出した。「できない理由を探し続けた大学」は、おそらくその傾向が強い。学生の事情に寄り添うことを二の次にして、部局間の利害や意向のすり合わせという内向きの調整(大人の事情)を優先させることにつながっていったのであろう。

 そのような「機械的の製造場」と化した大学が、将来「母校(ホーム)」になるかどうかは、極めて疑わしいと言わざるを得ない。

 ■リモート時代における大学の存在意義とは

淘汰される危機は、未だに「できない理由を考えている大学」では、特に強い。急速に拡大していったオンライン教育は、大学の存在意義について本質的な問いを突きつけている。事実、これまで大教室で行われてきたような、パッケージ化やモジュール化に適した学習内容は、リモート講義で容易に置き換えができる。大学に存在意義があるとすれば、その種の知識伝達型の教育だけを行う場としてではない。むしろ既存の知識や通念を批判的に検討し、自ら新しい知識を創造していく力を養っていく場であるべきなのだ。

 ■「倜儻不羈(てきとうふき)」な人材育成を

官製の「学力」の定義は、批判的思考能力とは全く別物である。新島の遺言:「倜儻不羈」なる書生とは、独立心が並外れて強く通念や権力に盲従することなく確固たる信念にもとづいて行動できる人材。リモートワークやリモート教育が一般化した「アフター・コロナ」の世界で生き残っていくには、大学は自らを「倜儻不羈」の人材が育っていくことをサポートできる教育機関として、鍛え上げていかなければならない。

Categorised in: ご近所の話題