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2020年5月26日

11914:診断、治療は医師の役割だけれど:若倉雅登先生コラム 印象録

診断、治療は医師の役割だけれど:若倉雅登 印象録

眼科ケアにおける「若倉先生の私の提言、苦言、放言」の166回を採録。神経眼科や眼瞼痙攣の患者さんを相手にしていると、正しく診断でき、それに対しては正しい治療をしているのだけれど、患者さんにはなかなか納得していただけないという場面は多々あります。まさに、「患者が有する問題を抽出したら、それをどう解釈し、今後どういうアプローチをしてゆくべきか、そして、それでも残る問題は何で、それをどうしてゆくのか?」を考えさせられることが多いです。それが、医師の仕事であるというのは間違いないのですけれど、(目と心の健康相談室を含む)ナース、視能訓練士、臨床心理士そして医療事務職員諸君の手を総がかりで借りて日々の問題を何とか乗り越えています。敬愛する若倉先輩の今号の話題は医学教育の方針の話です。雑誌は医院には届いていたのですが、コロナ騒動のあおりで4,5,6号の読解が遅れました。今日の話題は4号からの記事です。

眼科ケア、広い視覚での医療関係者向け雑誌です。眼科医院の院長に頼んで購入してもらってください。

  ―――記事要点採録―――

私の提言、苦言、放言  井上眼科病院名誉院長 若倉雅登

第166回 診断、治療は医師の役割だけれど

医学教育でいろいろな改革が行われてきた。でも、具体的にどんな改革なのだろうかと、ふと疑間に感じ、インターネツトで検索していると、平成二十八年九月付の「今後の医学教育改革方針」という全国医学部長病院長会議発の文書が見つかつた。目指すべき医師像として以下の記載がなされている。「全身を診ることができ、病態を理解し必要な対応がとれる」「自分の専門領域全般にわたり標準的な医療(診断、治療)を患者に提示することができる」医師である。

日本の臨床の教科書では診断、鑑別診断、治療という順序で記載されている。確かにそれを行うのが医師の役割であるというのは、常識的過ぎて今さらいうまでもない。しかし、現場の臨床は教科書のどこかに書いてあることを、当てはめられれば事足りるものとは限らない。患者の愁訴をいくら聞いても、いくら検査しても診断が付かない、教科書のどこにもそんな話は書いてない、などということはいくらでもある。どこかで「診断はテレビでやっているクイズとは違う」といっているのを読んだことがある。クイズのように答えが一つと決っているなら、人工知能か「クイズ王」のような医師に任せたらスピード感もあってよいだろう。診断名を探すのが医師の役日ではなく、患者が有する問題を抽出したら、それをどう解釈し、今後どういうアプローチをしてゆくべきか、そして、それでも残る問題は何なのかを考察するのが、医師の仕事である。言い換えると、データの中から答えを一つ、二つと選択するのではなく、専門家としての知識を動員しながら、患者にとっての問題の重要性を評価し、問題が複数あれば順位付けをしたり、関連性を考察したりすることが大切である。つまり、そこにある医学的な問題を少しでも減らすために、医師(人間)としての頭をとことん使う訓練が必要なのではないか。

ところで、診断が付かなければ、「治療」はできないというのは当たり前の話に聞こえる。仮に診断が付いても治療が確立していない疾病、治療の必要のない状態もある。治療法があるとしても、緑内障のような進行性の疾患や、視覚機能を十分に回復させることはできない病気の場合も少なくない。そうしたときの医師の役割は「治療法がない」「治療法がっても機能を回復させることはできない」と宣言するだけで終わりなのだろうか。

三十年以上前の話だが、スコットランドに留学している折に、眼科専門医に対して授業をしているところを何度かのぞいたことがある.聴講している医師を次々にあてながら、診断治療のプロセスを述べさせるといった教育法は日本でもおなじみだが、興味深かったのは、診断が確立していない疾患についても、「治療はありません。経過観察のみです」と回答しても終わらないことだった。「では、どうするか」と間うのである。そこでは、患者のこれからの医療管理をどうしてゆくのかにとどまらず、これからの患者の生活をどうするのか、どういう社会福祉の救済が可能なのかというところまで話が及ぶ。眼科の患者は治らない、治療がないからといつて、命が尽きるわけではない。だから、患者にとっての問題のゴールはどこなのかまで、明確にしなければ話は終わらないのは当然だ。こんな教育を日本では受けたことがない。その授業で配布されていたテキストを改めて見てみると、疾患や症状に対して、診断、鑑別診断、治療のあとに「マネージメント」という項目が設けられていた。これこそが、患者が専門家に求める大事なポイントなのではなかろうか。   

もう一度、先の「今後の医学教育改革方針」という文書を見てみよう。「夜問・救急医療」「地域医療」に貢献できる医師を育成しようという意図は、この文書の眼目なのだろう。だが、このA4 で2ページの文書の中に「患者」という語が二回しか出てこない。もし患者中心の医療に改革するための医学教育なら、いかにもおかしな話だ。患者のニーズやその多様性といった、患者主体の視野なしに教育の形を整えようとしても、国民の求める患者に寄り沿つた近代的医療はとても実現しないだろうという気がする。

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