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2020年1月28日

11465:原田マハの『ジヴェルニーの食卓』を読みました。

ジヴェルニーの食卓』は、日本の小説家原田マハによる小説で、『すばる』2009年7月号から2012年10月号にかけて不定期に計4回掲載された短編群をまとめ、2013年3月26日に単行本が集英社より刊行されたものだという。いずれもフランス印象派の画家を題材としていた。 それなりの資料はあるのかもしれないけれど、原田マハは各作品の中で、美術館のキュレーターらしい感性でそれが真実であったかのように他人のプライバシーを美しく創作している。

①ある老いた修道女が、2003年頃に、『ル・フィガロ』誌の28歳の記者を相手に、戦争で両親を失ったことや、中学を出てから家政婦の仕事を始めたこと。21歳のときにお使いに行った先で画家のアンリ・マティスの寵愛を得たことなど、自らが若いころの思い出を語る。

清澤注:生まれた土地を殆ど離れなかったマティスだが、一度はフィラデルフィアにコレクターのバーンズを訪ねていた。そのバーンズコレクションは今でもマチスの絵を60枚も所蔵していて、一見の価値がある。

  • ②アメリカ人女流画家のメアリー・カサットが、画家のエドガー・ドガの狂ったような絵画への情熱について語る。

清澤注:ドガといえば踊り子。ダンスを踊るのが踊り子で、つえを持って指導する舞台監督と踊り子たちを描いたのがドガの踊り子だと思っていた。しかし、ドガには絵を描くという事について狂おしいまでの強い執着があったのだという。(https://www.kiyosawa.or.jp/uncategorized/37510.html/)気に入りの14歳の少女を裸のモデルにして、そのスケッチや精密な塑像も作った。その踊り子が資産家の妾になるのを嫌ったという創作話を友人の女流画家メアリー・カサットの口を借りて著者は語る。

  • ③ 画商であり画材商でもあるジュリアン・タンギーの娘は、ポール・セザンヌに宛てて、父のことやセザンヌのことなどについて手紙を書く。

注:タンギー爺さんという有名な絵はゴッホが作者です。ゴーギャンとゴッホは、タンギー爺さんの絵具店でセザンヌの絵を目にして影響を受けたが、セザンヌは貧しさゆえに豊かでもないタンギーに払うべき絵の具代を踏み倒していたらしい。

  • ④ クロードクロード・モネの義理の娘であるブランシュの目を通して、モネの連作『睡蓮』がどのようにして誕生したかが語られる。

清澤注:ジベルニーはモネが晩年に睡蓮の絵を描いたことで知られるノルマンディーの村。セーヌ川の下流にある。モネの絵はパリのルーブルに近いオランジェリー美術館で今もゆっくりとみることができるが、その景色は今もジベルニーに変わらずに残っている。パトロンだった百貨店主の会社が倒産し、その家族をモネは自宅に受け入れ、のちにその夫人と再婚した。この小説はその後妻の連れ子だったブランシュを中心に語られる。晩年のモネは白内障で視覚に変調をきたし、上に記した大作の絵の完成に苦しんだ。

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