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2019年10月17日

11180:武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断(要旨抄出)

清澤のコメント: 「地域のつながりらしきもの」 が失われる現代においては、レベッカ・ソルニットの「地震、爆撃、大嵐などの直後の緊迫した状況の中で誰もが隣人や見も知らぬ人々に対してさえ思いやりを示す」災害ユートピアが失われつつあり、逆に ライフラインの寸断が「万人に対する万人の闘争」状態に直結して、 「災害ディストピア」 が現出するという。それを今回のSNS投稿は垣間見させたのかもしれない。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191017-00309170-toyo-soci&p=1

10/17(木) 15:30 yahoo news

台風19号で大都市圏でも、浸水被害がもたらされた。とりわけ世相を最もよく表していたのは、武蔵小杉における大規模浸水被害と、それをネット掲示板などであざ笑う風潮だ。

■SNSで「武蔵小杉ざまあ」との投稿が

 武蔵小杉駅の東側は、タワーマンションの比較的裕福な子育てファミリー世帯が多い。浸水被害によるタワマンの停電や断水が報道されると、揶揄する投稿が相次いだ。ノンフィクション作家のレベッカ・ソルニットによれば、「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、思いやりを示す」――このような一時的現象を「災害ユートピア」と名付けた。(『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』高月園子訳、亜紀書房)

■避難所のホームレス受け入れ拒否の波紋

 非常事態をきっかけに、救助や支援に奔走する人々が出てくるが、「地域のつながりらしきもの」が残っていることが前提条件になる。居住地を同じくしているだけでは「災害ユートピア」は立ち上がりにくい。台東区が避難所を訪れたホームレスに対し、受入拒否したことが波紋を呼んでいるが、議論自体が「社会の分断」が進んでいることを示す。もはや助けるべき「同じ人」としては映っていない。

 ソルニットの「社会の分断」が行き着くところまで行けば、ライフラインの寸断が「万人に対する万人の闘争」状態に直結しやすくなる。「暴徒」は、被災地における「競争相手」であり、「クレーマー」である。

■「災害ディストピア」が浮かび上がった

 被災によってはびこる「災害ディストピア」。武蔵小杉の惨状を一部の人々が、「あそこはハイソっぽくてムカついてたからざまあだわ」とあざ笑うことは、構図としてはわかりやすいが、事態の本質は、貧富の差以前に当然のように「同じ人」ではなく「鼻持ちならないニューリッチ」という「別人種」、他者を「不愉快な種族」と決め付けていることにある。これが「ムサコのタワマン族」「ホームレス」というレッテル貼りに共通する心理である。

 武蔵小杉について「セレブの町気どりで調子に乗ってるから天罰が下った」と評している書き込みが典型だ。これはある種の「終末観」と「長者没落譚」をブレンドしたものだと思われ、「二極化する日本社会」を〝正常な秩序〟に回復する「天の采配」を期待しているとも取れる。

 民俗学者の宮田登は、「三代続く長者なし」という諺の背後にある「原初的要因として火難・水難が指摘されている」という(『終末観の民俗学』ちくま学芸文庫)。

■「誰もが被災者になりうる」のに

自然の猛威にさらされる被災地を他人事として眺め、それが自分事になると「寄る辺ない」世界にいることに気付く。これがわたしたちの〝現在地〟かもしれない。 真鍋 厚

Categorised in: ご近所の話題