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2019年9月4日

11047:第107景 深川洲崎十万坪の棺桶?

今回の話題は、先週深川不動尊にお参りに行ったときに、食堂で無料で戴いた「深川」という地域雑誌に、久染健夫氏がこの絵を紹介していた記事に始まります。それによれば上部の鷹の視線の先には水面に浮かぶ樽の様な物が描かれているといいます。その意図でネットを検索して出て来たのがつぎの記事です。

先ず第107景 深川洲崎十万坪 安政4年(1857)5月 をご覧いただこう。私の好きな浮世絵の一枚です。 今日はhttp://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html を参考にこの絵にまつわる怪奇な話を紹介したい。

第107景深川州崎十万坪

■ 歌川広重『深川洲崎十万坪』

歌川広重 江戸名所百景の 『深川洲崎十万坪。 州崎は、洲が帯状にだら~んと伸びた岬であり、先端に弁天が奉られている。深川はそもそも人工の埋立地である。江戸中期以降、深川洲崎そのものが波除の防波堤として整備された。

深川洲崎は洲崎弁天が有名で、ここから見える景色が素晴らしかった。 そもそも弁天は水神として水辺に祭られることが多く、ここ深川でも元禄の創建時より海難除けとして深く信仰され、茶屋なども並びたいそう賑わった。

この107景は、敢えて深川洲崎十万坪というタイトルで、筑波山を背景に鷲と同じ視点で内陸側(埋立て地側)を鳥瞰している。 左中央付近に細い棒状のものが何本も立っているが、それは木場の材木か? しかし、いかにも荒涼として寒々しい絵だ。

広重がモチーフとしたものは、広重がこの絵を描いた約65年前、この洲崎一帯を大津波が襲い、州崎弁天はもちろん、沿岸の三百数十軒の人家を呑み込み多数の死者を出す惨事ではないかともいう。幕府はその後、津波に備えて洲崎一帯に家屋の建築を禁止して空き地を設けると同時に、海沿いに防波堤を築いた。

それを引用すると:「上部に大きく描かれている鷲が見つめているものに注目したい。樽のようなものが浮かんでいるが、これは棺おけである。 この棺おけの主は誰か。もちろん、前述の津波の犠牲者の可能性もある。 しかし、この辺りは、殺伐とした場所であったことから、よく遺体が捨てられたり、土座衛門が流れてきたりするような場所だったらしい。 怪談、「妲己のお百」のクライマックスの舞台は、まさにここだし、「東海道四谷怪談」の戸板返しの舞台も至近の隠亡掘である。 つまり、棺おけに入れて供養しなければならない無縁仏は、いくらでもいたわけだ。 第107景深川洲崎十万坪は、美しい名画である反面、江戸の裏事情を雄弁に語ったまさに「怪画」であると言える。」

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