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2019年8月27日

11021:「蓮花谷話譚」(若倉雅登 著)を読了しました。

清澤のコメント:若倉先輩の日本の女性医師列伝第3弾 「蓮花谷話譚」を 拝読しました。今回も詳しい取材を積まれ、苦労の果てに昭和初期に高野山で没した女性臨床医を記述しています。

緘黙症の男性が医学校の同級生として出てくる場面もあり、若倉先生らしさも感じました。後に、その緘黙の青年が直像眼底鏡を完成して主人公に献ずる場面はおそらくはフィクションか?と思うのですが、散りじりになった学友が再開する場面として安心させられました。

若倉先生からも、丁寧なご案内と、此の著書を多くの方々に知っていただきたいので情報の拡散を求められました。微力ながら、ここに若倉先生からの手紙を付して採録いたします。

ーーお手紙ーーー

拙著「蓮花谷話諄」(青志社)を献本させていただきます。

本書は「高津川」(初の公許女性眼科医右田アサ、島根県益田出身で東京の井上眼科病院=現在の小生の勤務先に所属)、「茅花(つばな)流しの診療所」(愛媛県内子出身、東京女子医大の前々身の東京女子医学予備学校で学んだ)に続く、女医物語シリーズ第3弾(いずれも青志社)です。男尊女卑、官尊民卑の風が厳しかった明治時代(女性医師は明治期には200人余しか誕生していない)に、苦学して医師となり、活躍しました。

「蓮花谷話諄」は、明治30年代、高野山蓮花谷に女性医師が突如誕生した(和歌山県に医籍登録された日本で初の女性医師)、高野山に近い奈良県池津川出身の花谷保枝(奈良県出身の女性医師としては日本で2番目)の一生を描いたものです。その裏には進歩的な考えを持っていた名僧、法性宥鑁(ほつしょうゆうばん)の尽力が非常に大きいものでした。しかし、女性医師が活躍するには、ここは過酷すぎる環境でもありました。女人禁制の山規が、禁制解除の国の法令よりも重視されていたからです。今日の臨床医学において、女性はその特性を生かした活躍がもっともっとなされてよいと臨床医を45年してきた小生はその体験から常々思ってきましたが、それを阻む何かがあります。今もなお日本社会に残る男尊女卑の空気のルーツを、明治の女性医師の一生を辿ることで探ろうとした小生の目論見をも本書でぜひ感じ取っていただきたいと思います。明治女性医師シリーズはこの第3弾で一旦完結となります。今回の伝記的医療小説の形にした話諄、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っております。献本させていただいたみなさまにはご高覧の上、機会をとらえて話題にし、またお取り上げいただければありがたく存じます。

書評や書籍の紹介などのあたり、追加献本が必要な場合は下記にご連絡くださいませ。また、別途ご購読いただける場合も私に直接ご連絡いただければ、必要な送り先に迅速に送付させていただきます。

頓首

令和元年8月8日 著者 若倉 雅登

著書などに関するメールでの連絡先:wakakura-m@inouye-eye.or.jp

勤務先電話(秘書井芹)0332950911

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Categorised in: ご近所の話題