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2019年7月14日

10903:判断のメカニズム[照見五蘊皆空]とは:

清澤のコメント:昨日の心療眼科研究会での精神神経科の教授先生の講義では統合失調症の際に、際立つって見えるという単語(sline?)と五蘊という単語が印象に残りました。メモを取らずに聞いてしまったので、「際立つ」の方には到達できず、この耳に残った五蘊という単語をまず調べることが出来ました。座長の気賀沢先生はこの単語(五蘊)は般若心経にも出てくると指摘されており、その博識に驚嘆です。

判断のメカニズム[照見五蘊皆空]から抜粋:(ぜひ下記の元文に戻ってご覧ください。)

「…なんだそうだ、般若心経」(http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya03.html)名取芳彦から要点抜粋:

  ――上の記事の要点です―――

仏さまが舎利子に

「観音さまがとても素晴らしい智慧を身につけるための修行をしていた時にね……」

と説きはじめる般若心経。次に意味として続くのは「照見五蘊皆空」の句。

意味からいえば、

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時カンジーザイボーサーギョージンハンニャーハーラーミータージー」(観自在菩薩かんじざいぼさつ、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみったを行ぎょうじし時とき)

「照見五蘊皆空ショウケンゴーウンカイクウ」(五蘊ごうんはみな、空くうなりと照見しょうけんして)

「度一切苦厄ドーイッサイクーヤク」(一切いっさいの苦厄くやくを度どしたもう)

となります。

五蘊は空…

さて、内容に入りましょう。――普段私たちが考えもしないようなことが次々に登場するのです。

[照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう]、

「五蘊ごうんはみな、空くうなりと照見しょうけんして」となります。――

「照見」とは「分かった」「了解した」ということです。何が分かったかと言えば「五蘊ごうんというものが、みんな空くうなんだ」ということが分かった、というのです。

ものごとは条件によって成り立っている。あなたが「ある」と思っているものは、条件によって成り立っているもので、そのもの固有の実体は「ない」のだということを表しています。

ですから「五蘊皆空ごうんかいくう」は「五蘊というのは、すべからく条件によって成り立っているのだ」という意味です。

残りは「五蘊」。蘊は「あつまり」のことです。仏教では、私たち五つのものが寄り集まっていると考えます。これを称して「五蘊」といいます。

この五つのものは、「色しき」「受じゅ」「想そう」「行ぎょう」「識しき」です。

ロウソクがロウソクである理由

まず、ロウソクがあります。これは物体、つまり形あるものです。形のことを仏教で「色しき」といいます。

とりあえず、ロウソクは形があるので「色しき」という言葉であらわしておきます。しかし、ロウソクがロウソクであるためには、私たちがそれをロウソクと知っているからですよね。

仏さまにあげられたロウソク(色しき)があります。それを私たちは目で見ますよね。この「見るということ」が「受じゅ」です。まず眼球の網膜でロウソクの形を受けるからです。

つぎに網膜で受けた(受じゅ)ロウソクという形(色しき)は、脳に信号として送られます。この脳に送られることを「想そう」といいます。だからロウソクの像を脳に思うことを「想像」といいます。しかしこれは、私たちが「こうしよう」と思ってやっていることではなく、目と脳が機械的に勝手にしてくれている作業です。――

それをロウソクだと思うことを「行ぎょう」といいます。「心の行為」なので「行ぎょう」です。ですからいろ色は白であると判断するもの「行ぎょう」なのです。この時点では、ロウソクは単なる物体としてのロウソクです。

色しき受じゅ想そう行ぎょう識しき:の最後の「識しき」は、ロウソクに関して私たちがいろいろと思うことです。

「これはロウソクというものだ」「ふつうは白い」、、、などと思うのはすべて「識しき」です。過去の経験から蓄積された知識から出てくるから「識しき」です。

条件によってロウソクはロウソクたりえる:

ですから、最初から仏さまにあげる火をつけるロウソクがあるわけではないのです。ロウソクという形(色しき)があり、それを目で見て眼球の奥にある網膜が像を受けて(受じゅ)、それが脳に送られます(想そう)。脳が勝手に認識したロウソクを、ロウソクだと思い(行ぎょう)、これは仏さまにあげるものだ(識しき)と分かるのです。

私たちは、今まで申し上げたような条件がそろってはじめて、物(色しき)と私の関係ができあがっていることがお分かりいただけたでしょうか。

ここまでが、色と私たちの関係です。――これが「五蘊皆空ごうんかいくう」つまり「ものごとのありようは心も含めて、全て条件によって変わるのだ」ということであり、観音さまはそのことが分かった(照見しょうけんした)というのです。

……だから、どうした?と開き直らないでください。ものごとの真実のありようを、しっかりと見ていく智慧について書かれてあるのが、般若心経なのです。

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