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2019年3月27日

10586:美空ひばりと錦之助の『おしどり駕篭』(昭和33年1月中旬公開);見てきました。

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市ヶ谷歯学会館アルカディア前の夜桜

錦之助映画祭り−時代劇の至宝・中村錦之助=萬屋錦之介/ラピュタ …

清澤のコメント:日本映画全盛期をトップランナーとして駆け抜けた中村錦之助(萬屋錦之介)の主演映画の特集上映。東京杉並・ラピュタ阿佐ケ谷でおしどり駕籠を見てきました。私が5歳のころの映画。萬家錦之助と美空ひばりの恋と別れの実話、其れとマキノ正弘監督の弟 マキノ光雄 の死がこの作品の裏に隠されてたことは、後で知りました。

以下の記事は(https://blog.goo.ne.jp/sesamefujii/e/1d4f7978c64cc101600e1b3c896cf177)から抜粋です;

 美空ひばりが錦之助の相手役を務めた映画は全部で8本。『おしどり駕篭』(昭和33年1月)はその5本目。約3年ぶりの共演。それは婚約寸前にまで接近した二人の仲を引き裂く圧力が外部から加わり、ひばりと錦之助が別れざるを得なくなったからである。

結果的には二人にとってこうした2年以上の冷却期間を置いたのは良かったかもしれない。ーーこの映画のクランクインは昭和32年12月4日で、錦之助は25歳、ひばりは20歳。好きななまま別れた、そんな二人が再会して、相思相愛の役を演じることになった。

 『おしどり駕篭』(昭和33年1月中旬公開)は、錦之助とひばりという二大スター共演の娯楽時代劇の傑作になった。監督はマキノ雅弘。ーーこの映画は、一種のラブ・コメディ。ーーこの映画の中の二人は掛け合い漫才のよう。お互い惚れ合っているのに、好きだと言えず、「おかめ」「ひょっとこ」と呼び合って口喧嘩ばかりしている。ーー錦之助とひばりは互いに共演を心から楽しんでいる様子がありありと分かる。ーー錦之助もひばりもスーパースターである。二人とも数ある戦後スターの中でも突出した存在だった。俳優とか歌手とかいった範疇を超え、一個の人間としての大きな魅力を振りまく恒星のような存在。


 この映画は、錦之助の映画人生でもターニング・ポイントとなった作品だったと言える。(以下略)

『おしどり駕篭』の製作中に錦之助の意識変革があったからだと思う。映画にかける情熱が燃え上がったのだ。その大きなきっかけとなったのは、東映の黄金時代を作り上げた名物プロデューサー、マキノ光雄(雅弘の弟)の急死だった。昭和32年12月9日のことである。ーーー昭和32年、マキノ光雄が企画した錦之助主演・マキノ雅弘監督の映画『成吉思汗』が社長大川博の反対にもあって製作延期になった。そこで、光雄は、戦前に山上伊太郎・マキノ雅弘のコンビで作った『弥次喜多・名君初上り』のリメイクを考えた。錦之助とひばりには出演承諾をすでに得て、脚本・監督を兄の雅弘のところへ頼みに行った。光雄のたっての望みということで、引き受けることにした。題名を『おしどり駕篭』に変え、脚本の執筆に取り掛かったのだが、突然光雄が病いに倒れてしまった。脳腫瘍だった。雅弘は11月末脚本を完成させ、製作に取り掛かった。12月4日京都撮影所でクランク・インした。が、その5日後、光雄は東京の病院で帰らぬ人となる。『おしどり駕篭』は、正月第二週の封切りが決まっていたので、二十日間で完成しなければならなかった。ーー光雄の葬儀は、映画完成後、12月25日に行われた。『おしどり駕篭』はそんないわく付きの映画でもあった。


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