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2018年6月13日

9333:小柳教授の自叙伝「残る陰」の後半部分

小柳教授の自叙伝「残る陰」の前半部分のお話を以前(https://www.kiyosawa.or.jp/archives/54718305.html)書きました。

 

新潟の安藤先生に後半部分も紹介してほしいとの励ましのお言葉をいただきながら無為に日を過ごしてしまいました。前半部分では、小柳教授が自分でなした研究の内主要なものを3つ挙げておいででした。そしてその中にはなんと、小柳病の発見は含まれてはいなかったということを記載したつもりです。

 

今回は、その続編部分で、45ページからの「国際眼科学会での宿題報告」がその部分です。1937年に埃及(エジプト)のカイロで行われたのが、第15回国際眼科学会です。その会で小柳教授は宿題報告を世界の最も有名な教授たちと共に担当しています。

 

まずは同時に発表した学者達の名前の大きさに驚きますが、読み進めると小柳教授がユダヤ人に対して同情の念を強く持っておられたことに心を打たれました。

 

劈頭には「欧米人の指導や考案によらず全く独自の立場に於いて研究せる業績を提げ、国際学会の壇上にーーー私にとって洵に本懐というべきであった。」と記されています。

 

招待に至る経緯:1935年4月8日第一信」:1937年エジプト国カイロ市にて開催予定の総会における宿題の1として「眼と高血圧」なるテーマを決定、、、。小柳(仙台)、バヤール(巴里:清澤注眼底血圧計の考案者)、デューク・エルダ(倫敦:清澤注:眼科の大百科辞典システムオブオフサルモロジーの著者)の3氏が当選。バイヤール氏はもっぱら臨床方面を、デユークエルダ氏は生理学的方面を、而して又貴下は病理解剖学的方面を夫々分担する次第。
理事マルクスの招待の書簡と、記載されています。その当時、国際眼科学会の責任者であったマルクス教授の苗字が不明です。※)

 

第3信において米国ロチェスターにあるメイヨークリニックのキース氏およびワグナー両氏が高血圧における概論をテーマに演者に追加されたとの連絡が入っていて、本番には理由不詳ですが、デューク・エルダ教授は来ませんでした。

 

面白いのは論敵フォルハルト氏が欠席してその部下のチール氏がフォルハルト教授の論文別刷りをもって参会し、「出席してはいたが別に討論に加わるでもなく気勢昴らず気の毒に見受けられた。思うに彼は純ナチス系の人物だけに、此処カイロでは猶太系独逸人殊にシリ―、イーゲルスハイマ―氏等の勢力に圧倒されたものだろう、――聊か気遅れがして引っ込んでいたものだろうと私は忖度した」と記しています。

 

小柳教授の発表後、フォンシリー氏が近寄って来て私の肩を叩き、私が祝辞に独逸語を用いたのが嬉しく肩身の広い思いをしたと率直に感謝の意を伝えた。しかし、ーー独逸語を己の祖国と決め込んでいたフォンシリー氏も彼の血管内に何代か以前に混入した猶太人の血が流れているという理由で、眼科学会各方面の有力者の奔走努力もついにその甲斐なく、埃及(エジプト)学会の終了後幾ばくもなく国外追放者のリストの中に彼の名を見出されるに至ったのは今にしてなお、私の同情に耐えないところである。――

 

ザルマン氏は独逸人に不似合に柔和で親しみの持てる愉快な男である。――彼は前年若いフックス氏(清澤注:近視眼底に見られるフックス斑のフックス氏か?)の後任として北京の大学に一年有余を過ごしたこともあったという。――第16回総会は1941年ウイーンで開催することに決定し、リンドネル教授とともにザルマン氏も大いに張り切っていたがそのうちに今回の大戦となり総ては水泡に帰したわけである。(オーストリア併合】 1938年、ヒトラーによるドイツが、オーストリア国内のナチスへの抑圧を理由に侵入、オーストリアを合併した事件。アンシュルス

 

欧文による業績の発表:私は私の教室の仕事を殆ど全部独逸の専門眼科雑誌によって発表したのである。――仙台の眼科は比較的早く国際的にその存在を認められ、やがてーーー知る人ぞ知る我国の学界には余りにも派閥的色彩が顕著である。――

 

「科学者にも運と不運がある」我々の周囲には人間の力だけでは到底払いのけることのできない何者かが絶えず働きかけていることも亦見逃すわけには行くまいと思ふ。――自分には、経済的な運はなかったが、学問的な運には恵まれていた、と顧みておいでです。

 

清澤の感想:最後に至るまで己の努力や才能を誇ることなく、淡々と自分の人生を俯瞰される小柳教授を仙台の先輩にもてたことを誇りに感ずることができました。
※追記;解りました:アムスラーチャートで知られたローザンヌのアムスラー教授のことですね。1935,  ophthalmol, marcで見つかりました。ドイツ語の手紙でしたがドイツではなくスイス人だったわけです。

Marc Amsler:

Swiss ophthalmologist, born 1891, died 1968:
Amsler grid

= Chart used to detect or document macular diseases

Marc Amsler was a student of Jules Gonin at the University of Lausanne and an exponent of Gonin’s ideas about retinal detachment repair. He succeeded Gonin in 1935 as chair of ophthalmology at Lausanne, and in 1944 became professor at the University of Zurich.


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