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2018年2月25日

9633:「空海;KU-KA; 美しき王妃の謎」楊貴妃の物語の映画です。印象記

清澤のコメント:唐の玄宗皇帝の時代、楊貴妃という絶世の美女が居て、皇帝の寵愛を一身に受けました。しかし、近親者への過剰な登用などを理由に部下の不興を買うことになります。折から起きた安禄山の乱に当たって、近衛部隊は楊貴妃の処分を求めます。そこで、皇帝はやむを得ず楊貴妃を処分したらしいのです。しかし、当時玄宗皇帝に重用されいた阿倍仲麻呂に彼女を託して、日本に逃したという伝説も有ります。(:歴史的事実)

その事件から50年ほど後に日本からは空海が唐に留学します。彼は2年ほどの短期間の現地滞在後に帰国していますが、帰国後には弘法大師とも呼ばれ、真言密教の始祖として大成しています。下に引用するように、短期間で多くの知識を吸収していたことが解ります。(:これも歴史的事実)

空海と同時代に生きた唐の詩人に白居易が居ました。彼は唐の皇室をはばかり、玄宗と楊貴妃の物語を大昔の別の漢の皇帝とその寵姫に置き換えて長恨歌を残しました。それは白居易の代表作になっています。

長恨歌の最後の部分で、楊貴妃は「(道家の使者との)別れにあたって、ねんごろにさらに(皇帝への)言葉を託します。 言葉の中にあった誓い、それは二人(皇帝と楊貴妃)のみが知るものでした。 七月七日、長生殿において、 夜が更けて人がいなくなった時に、二人だけで話し合ったとき、
天上界にあっては比翼の鳥となって(仲良く並んで飛びたいと)、そして地上にあっては連理の枝となって(添い遂げたいと誓いました)。 天と地は悠久であるとはいっても、いつかは尽き果てることもあるでしょうが、 この満たされない思いは、いつまでも決して尽きることはないでしょう。
」という物であったということです。(これも歴史的事実です)

これらを絡み合わせて映画のスペクタクルが展開されます。中国や香港においてというよりも、日本での興行的な成功を目指した作品として見るべきでしょうから、日本市場での成功を期待します。

「目」に関連した事項としては登場する「妖怪の黒猫」が魚の眼だけを食べるという話が出てきました。然し「妖怪猫が特に眼球を好んで食す」という記載は他所では、何処にも見つかりませんでした。

追記: 空海の入唐求法

804年、正規の遣唐使の留学僧として唐に渡る。一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する過程は謎。第16次遣唐使一行には、最澄や橘逸勢がいた。空海はまったく無名の一沙門。

難波津を出航。空海と橘逸勢が乗船したのは唐大使の乗る第1船。この入唐船団の第3船、第4船は遭難。1223日に長安に入った。

長安で空海が師事したのは、まず醴泉寺の東土大唐。空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられている。5月になると空海は、密教の第七祖である唐長安青龍寺恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事する。恵果は即座に密教の奥義伝授を開始し、6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂7月に金剛界の灌頂を受ける。8月10日には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛の灌頂名を与えられた。

8月中旬以降になると、大勢の人たちが関わって曼荼羅や密教法具の製作、経典の書写が行われた。恵果和尚からは阿闍梨付嘱物を授けられた。同年12月15日、恵果和尚が60歳で入寂。806年1月17日、空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草した。そして、3月に長安を出発し、4月には越州に到り4か月滞在した。折しも遭難した第4船に乗船していて生還し、その後遅れて唐に再渡海していた遣唐使判官の高階遠成の帰国に便乗する形で帰国の途についた。(帰国後の業績を省略)


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