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2018年1月11日

9507:塩の日(1月11日 記念日)

05塩の日(1月11日 記念日)

1569年(永禄11年)、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越後の塩を送ったとされている。

この話が「敵に塩を送る」という言葉の元となり、争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については敵の弱みにつけこまず、逆に援助を与え、その苦境から救う例えとなっている。

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かつては初市あるいは塩市とも呼ばれ、松本城下では1月11日に行われていた。深志神社氏子である本町・中町・伊勢町の商店街では、町会ごとに恵比寿大黒等を祭神にした拝所が作られた。糸魚川街道成相新田宿・保高宿(安曇野市)、池田宿(池田町)、大町宿(大町市)でも明治から大正期にかけて同様のあめ市が開設された。成相新田宿の祭神は祇園の八坂神社からスサノオを勧請した。

起源

甲斐武田信玄と、越後上杉謙信が争っていた時代に、武田と争っていた駿河今川氏真が武田氏の支配地にを供給することを止めるという戦略をとった。武田家支配地の領民を困らせることなので、これに義憤を持った上杉謙信は越後から信濃経由で塩を送った(「敵に塩を送る」の古事、「塩の道」として残る)。この時に、塩が松本に着いた日を記念して「塩市」として始まったと伝えられる。

歴史

深志神社の天神祭りと並び、江戸時代の松本城下の最大の行事であった。1615年(慶長20年)には正月の市初めに塩やあめが売られている記録がある。1835年天保6年)につくられた絵巻物「市神祭之図(いちがみさいのず)」には、当時の行列の様子が詳しく描かれている。昭和の初めころまでは、町会ごとに担ぎものを出して渡御行列が進み、これを見るために近郷から多くの人出があった。

有形文化財

  • 「寶舟と七福神人形」が市の重要有形民俗文化財として指定されている。これは、本町五丁目の担ぎものであったもので、松本市立博物館に展示されている。


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