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2018年1月8日

9498: 島津家の戦争:(筑摩書房) 読書印象記

_SX339_BO1,204,203,200_◎鎌倉時代から650年にわたり薩摩の地を治めてきた島津家。その私領である都城島津家は4万石に多数の武士を抱え、藩の中で特殊な地位にあった。その都城島津家が残した日誌をはじめとする多数の史料から、明治維新とその後の日本の近代化を主導した薩摩藩の実像、都城島津家の君主と家臣団の知られざる物語が浮かび上がる。薩摩から見たもう一つの日本史、迫真の歴史ノンフィクション。

清澤のコメント:要点を拾ってみました。

宮崎県都城市は旧薩摩藩の支藩があったところで、宮崎県の都城盆地にある。班内最大の私領・都城4万石を領していた。著者が学習院の総務課でアルバイトをしていた時に、院長の島津久厚氏に関連の有る都城島津家日記に出会ったという。それは、特に幕末頃からの都城島津家の歴史を記載したものであったという。
第1章:謎の国書:朝鮮に漂着した琉球人を送り返すときに付託された朝鮮王家の国書がなぜか都城島津家に残る。
第2章:武士の王国:都城では武士の比率が他藩に比べて異常に高かった。
第3章:今日の守護者:幕末に薩摩藩が朝廷の警護を命じられた時にその主力を担ったのが実は都城島津家(久静)であった。久静は京都で客死した。
第4章:生麦事件の結果で起きた薩英戦争で薩摩藩は鹿児島を焼かれ大敗を喫したが、その後、英国の仲介で軍艦購入をするなど親英のきっかけとなった。
第5章:日本最強の部隊:大政奉還のころ、倒幕への動きにも都城部隊が活躍した。鳥羽伏見の戦いでも活躍。
第6章:島津、分断す:明治4年、廃藩置県に伴う動揺。薩摩藩主島津本家の久光は激怒。都城島津家は、久静を嗣ぐ久寛の時代。三島通庸が地頭になり、薩摩藩は鹿児島、美々津、都城の3県に分割されてしまった。島津本家当主久治はそれに苦しみ拳銃で自殺す。
第7章:西南に独立国あり:明治6年に島津久光(島津家当主にはなっていない)が上京。都城島津家当主の久寛も同行した。このころ、岩倉使節団が帰国し国内では西洋化が進む。その新政府の中に島津久光の居場所はなかった。鹿児島に戻ってみると、鹿児島には先に下野した西郷の建てた私学校が出来ていて、新政府との対立の構図は出来ていた。
第8章:戦火、已む:西郷隆盛に率いられた薩摩の起こした西南戦争で、在鹿児島で有ったが島津久光や当主忠義の島津本家は挙兵を支持していない。都城も西郷軍には同調しない更に特異な立場をとった。この時点で西南戦争の帰趨が西郷軍の負けと決まったという。
第9章:殿様と新政府:学習院初等科に進んだ都城島津家第27代当主・島津久家が東京で歓迎された。彼は、陸軍士官学校を経て陸軍に進んだ。このころ、ご相談人という、今は私的に当主を支える旧家臣団が登場する。
第10章:再び海を渡る。:日露戦争には陸軍軍人として都城島津家当主久家も参戦した。明治38年凱旋。
終章:帰還:島津久厚氏は陸軍士官学校には入らず東大農学部から陸軍技術将校として東京で研究に励んでいた。太平洋戦争の終戦時には都城に戻ったが、家令を残していた自宅は軍に接収されていた。後に学習院の院長に就任。

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