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2017年4月22日

8783:応仁の乱の本が売れているという話

応仁の乱の本が売れているという話です。 木曜に神経眼科の石川弘先生とお昼を食べたときに応仁の乱の本を読んだとお話したら驚かれましたが、石川先生が想像した本は上の本であったようです。

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 売れているのは、実は私の読んだ本ではなくて、
応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) 新書 – 2016/10/19 呉座 勇一 (著) の方でした。それは、Amazon 売れ筋ランキングで: 本全体の41位、本 > 歴史・地理 > 日本史 > 室町の1位、本 > 新書 > 中公新書でも1位です。

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私が読んだ本は、 本全体の 12,163位、本 > 新書 > じっぴコンパクト新書なら6位、本 > 歴史・地理 > 日本史 > 戦国・安土桃山では12位ですから、単に中公新書の方の売れ行きに便乗していたのかもしれません。

清澤のこの本を読んでの印象記:
 室町時代から戦国時代にかけての中国地方西部における大内氏の勢力は巨大だった様です。
rurikouji瑠璃光寺の五重塔
 まず、大内義弘は和泉・紀伊・周防・長門・豊前・石見の6カ国を領する守護大名となり、李氏朝鮮とも独自の貿易を行うなどして大内氏の最盛期を築き上げた。しかし義弘の勢力を危険視した室町幕府3代将軍足利義満と対立し、鎌倉公方の足利満兼と共謀して応永6年(1399年)に堺で挙兵するも敗死しました(応永の乱)。今も美しい姿を見せる山口市にある瑠璃光寺の5重の塔は彼の菩提を弔うものでした。

今回の話題である応仁の乱で活躍したのは大内政弘です。大内政弘は、応仁元年(1467年)から始まる応仁の乱で西軍の山名宗全に属して勇名を馳せ、宗全の没後に山名氏が戦線を離脱すると、西軍における事実上の総大将になりました。乱の終結後は、九州での復権を目論んで挙兵した少弐氏・大友氏を再び屈服させました。それだけに留まらず室町幕府にも影響力を及ぼす守護大名としての地位を保持し続けたという事です。帰国時には戦乱により荒れ果てた京から僧雪舟を山口に迎えて遣明船に載せて絵を学ばせて、文化の花を咲かせたのもこの大内政弘でした。

山口県地方の実力はそのあとを継いで防長を支配した毛利氏にも受け継がれ、安土桃山時代でも大きな影響力を持ちました。そして、長州はやがて訪れる明治維新でも主要な権力を獲得してゆくのでした。今の安倍総理も山口県ゆかりの人です。

 --解説の紹介--
 応仁の乱は、将軍家の継嗣争い、室町幕府内の権力闘争、有力守護大名家の家督争いなど、いくつもの要因が重なって起こった戦いのため、歴史初心者にとって複雑でわかりにくく、日本史の授業でもほとんど説明がないまま戦国時代へと進んでしまうため、「応仁の乱」という名だけが有名で、その中身は詳しく知る人は少ない。

しかし、応仁の乱は戦国時代の始まりを告げる、日本史上では重要なエポックメイキングの戦いであり、なぜ日本が戦国時代に突入したのかを知る手がかりにもなる。

本書は、地図や人物相関図、系図、年表など図版を適宜挿入し、エピソードをまじえながら、わかりにくいと言われる応仁の乱を、わかりやすく説明したものである。約10年の間に京の町を灰燼にした「応仁の乱」をずばり解説。

  --【本書の内容】ーー
第1章 応仁の乱前夜:応仁の乱の主要な登場人物。室町幕府とはどういう幕府だったのか?
守護大名と国人、そして足軽とは? 対立の構図──畠山家の内訌、斯波家の家督争い、有力守護大名の権益争い。将軍家の後継争いと将軍側近の横暴。当時の時代背景。

第2章 応仁の乱、勃発! :山名宗全による畠山政長追放のクーデター。上御霊社の戦い。京を焼き尽くした上京の戦い。戦の趨勢を変えた大内政弘の上京。 東岩倉の戦い、相国寺合戦。1年ぶりの大合戦! 船岡山の戦い。東軍の総大将・足利義視が西軍に鞍替え! 山名宗全と細川勝元が相次いで死去! 大内政弘がついに降伏するも畠山義就が講和に反対。応仁の乱に参加した武将たちはその後どうなった?

第3章 地方に波及した戦乱
京極家と六角家の争い。斯波家、斯波家、今川家、赤松家の事情。応仁の乱より前に始まっていた関東の戦乱。

第4章 応仁の乱をもっと知るための人物事典
足利義政/足利義視/足利義尚/細川勝元/山名宗全ほか

あとがき──その後の室町幕府
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