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2016年9月27日

8168:澤口 昭一先生を悼む 「私の緑内障履歴」  

8168:澤口 昭一先生を悼む 「私の緑内障履歴」  

photo_sawaguchi学会では聞けない緑内障の話 (2011年2月第4回東京眼科アカデミーHPから)
「私の緑内障履歴」  澤口 昭一
琉球大学医学部高次機能医科学講座視覚機能制御学教授

 昭和54年に眼科医になり、昭和62年に新潟大学の助手に昇任、当時の初任給は32万円であった。当時、緑内障の薬物治療はピロカルピン、エピスタ、チモロールの3剤であり、ダイヤモックスの内服をその副作用を覚悟で患者に処方していた。ゴールドマン視野、シエッツ眼圧計による検査、手術は線維柱帯切除術が普及していたが、合併症の多発、頻回の再手術など、患者には迷惑を掛けっ放しであった。平成22年、緑内障医を勝手に標榜して30年が経過した。給料は62万円となった。数え切れないほどの緑内障治療薬と、配合剤まで登場し、コンプライアンスやアドヒアランスといった聞き慣れない言葉がちまたに普及してきた。ハンフリー視野とトレンド分析、DCT、GATなど様々な眼圧計、さらに極初期の緑内障を検出するOCT装置などの登場等々。以上、30年余の緑内障医としてみてきた緑内障変遷の歴史を語る。

Profile◆1979年新潟大学医学部卒業、1985年新潟大学医学部附属病院助手、1993年新潟大学医学部附属病院講師、1995年新潟大学医学部助教授、1998年琉球大学医学部教授。2006年緑内障学会理事。現在に至る。

眼科医清澤からのお悔やみ:

 卒業年度を拝見すればわたくしよりも1年若かったことになります。
 彼の笑顔が今も思い出されます。初めてお目にかかったのは夏の浜松。当時の彼は新潟大学からの派遣で聖隷浜松病院に務めており、わたくしは大学の夏休みに浜松市の浅岡先生の代診に伺った折でした。
 以後彼は緑内障における視神経篩状板の美しい走査電子顕微鏡の写真を発表し、やがて琉球大学の教授に就任。あちらでは閉塞隅角緑内障の大規模なコホートスタディーなども手掛けられておいででした。
 彼が先週9月22日にお亡くなりになったことを本日わたくしは人づてに伺いました。http://okinawaokuyami.com/20160924033104.html訃報は此処にも出ています。
 冥福をお祈り申し上げます。

Categorised in: 緑内障