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2018年7月23日

10029:その人に視覚障害者手帳はなぜ必要なのか:記事紹介

detail_6871清澤のコメント:今月の眼科ケアが届きました。毎月、院長の私がざっと目を通し、すぐに職員に回覧しています。皆様の診療所でも院長におねだりしては?経費で落ちる性質の本です。
毎週、毎日新聞に記事を書き、眼科ケアに論説を書いておられる若倉先生からの提言です。
最近の世相として、財政の逼迫と言いながら、弱者切り捨ての論理が罷り通る中で、よくこうまで次々に病者に同情的な提言が湧き出すものと敬服しております。(追加:後半部分のテキスト起こしが完成しました。7.25 22:32)
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私の提言、苦言、放言
井上眼科病院名誉院長 若倉雅登

146回 その人に視覚障害者手帳はなぜ必要なのか

(眼科ケア2018 vo1 20 no8 (821) 77から引用)

身体障害者福祉法は戦後間もない昭和二十四年に制定され、運用上の改定は何度かされている。最近も変更部分があったが、抜本的な法律の見直しは行われていない。その間、日本の社会環境も、政治や経済の状況も、人々の考え方も、また医学そのものも著しく進展し、変化してきているのに、視覚障害認定について、視力と視野を基準にするやり方は変わっていない.障害者に関する福祉行政は、この法律で身体障害者となる者、すなわち、障害者手帳を有している者を対象として施策が行われる。つまり、障害者手帳は、国のセーフティーネットの基本になっていると言える。セーフティーネツトは、文字通り網の 目のように漏れなく救済すべき人を救済するために存在する。救済されれば、多少なりとも安心感が生まれ、少なくとも一部の人は自立に向けての努力ができる「ところが、社会的救済や福祉サービスの 利用が障害者手帳の取得を前提にされてしまうと問題が生じる。視力や視野が法的に障害に至らないロービジヨン、また、視力や視野では評価できない眼球使用 困難症候群(重症な眼瞼痙攣や眼疼痛性障害、高度の中枢性羞明、高度の眼球運動障害など、眼球そのものには異常がなくても、生活上眼球を使用し続けることのできないさまざまな異常を示す筆者の造語。このような異常を想定していない現状の法律では視覚障害とする 条項がない)ではセーフティーネツトに引っ掛からないのである。たとえば、平成三十年の四月から施行された障害者総合支援法の前身である障害者自立支援法(平成十八年施行)第五条第四項には、「視党障害により、移動に著しい困難を有する障害者等につき、外出時において、当該障害者等に同行し、移動に必要な情報を提供するとともに、移動の援護その他の厚生労働省令で定める便宜を供与すること」という同行援護という事業がある.それまでは、視覚障害者が外出時の介助として、 障害者自立支援法の地域生活支援事業としての「移動支援事業一の利用はあったが、使いにくい面があった。

平成二十三年から創設された同行援護は、視覚障害者に特化されたものである。つまり、同行するだけではなく、視覚障害者に必要な情報提供や代筆代読なども 含まれ、視覚障害者のニーズを考慮した事業となった。ところが、今度の障害者総合支援法においても同行援護について、「 移功に著しい困難を有する障害者等」と「等」という字があるにもかかわらず、厚生労働省の文書では、事実上は身体障害者手帳を有していることが前提となっており、先ほど例示したようなロービジョンや眼球使用困難例では利用できない仕組みである。国が成り立っ てゆく基本は、国を構成する国民一人一人が自由に、自身の能力を発揮できる社会にすることだと考える。その環境を整えるのは行政の仕事である。国民には、老若男女があり、能力差も貧富差も あるのは当たり前で、さらには病者も、障害者も、それに法的には障害者ではなくともハンデイキヤップを持つ人もいる。先進国の調査で、人口の五名に一名は障害があるという調査もある。障害者を含めたすべての人が活躍できる社会が、真の意味での「一億総活躍社会」であろう。だとすれば、「手帳がない人は資格なし」と門前払いするのはおかしい。不都合や障害があれば広く認めて救済し、支援すれば、その人は能力を発揮できると考えるべきである。

 

一方、法的に障害者であっても手帳を申請しない人は「障害者というレッテル を貼られたくない」という一種の衿持を持つ人が多い。そうした気持ちは、きっとエネルギーに変えられるので手帳がなくても活躍の舞台を与えてほしい。窓口では障害審査を厳密にすることが行われていると聞く。それは制度の悪用を避けるためという言い分があるのだろう。しかし、どんなに厳密なルールを作 っても、悪用者は必ずいる。それを恐れて、救済すべき人に手が届かないのでは、本末転倒だ。手帳の有無にかかわらず、不自由を感じている人ヘ手を差し伸べる空気が醸成されてこその一流国ではないのかと思う。

Categorised in: 清澤眼科医院通信