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2019年11月2日

11256:眼瞼痙攣代替例会+圓歌師匠『中沢家の人々』

今日は、先日の台風で流れた眼瞼・顔面けいれん友の会の代替例会がありました。ご高齢の方々も含め90人ほどの方々がお集まりくださいました。会場で配布した週刊朝日の記事と眼瞼痙攣の自然史にリンク。会長から参加人数の報告をいただきました:

参加会員数  83名(会員代理1名、患者、現ボランティア委員13名含む)

付添     13名

その他    7名(先生2名、アドバイザー2名、非会員(お手伝い)3名

下に引用するのは『これからは「60代で現役引退」は論外になる』;という論説からの一節。その中で紹介された落語を聞いてみました。見ると、三遊亭圓歌師匠と草間彌生さんとは同年だという事で、わたくしの母とも同年だったことがわかりました。

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さようなら、三遊亭圓歌師匠

さる4月23日、三遊亭圓歌師匠がお亡くなりになった。1929年(昭和4年)生まれで享年88歳。お年を考えれば仕方がないのだけれども、もうあの話芸を二度とライブで聞けないと思うと寂しい限りである。

ワシはときどき浅草演芸ホールに通っているので、圓歌師匠の噺を何度も聞いたことがある。ちょうど1年前の5月連休中にもぶらりと立ち寄ったところ、圓歌師匠はご健在で、定番の『中沢家の人々』を聞くことができた。お暇な方、ユーチューブで「中沢家」を検索して聞いてみられると良い 。涙が出るほど笑えること請け合いだ。

圓歌師匠は終戦の1945年に、10代で2代目三遊亭圓歌師匠に弟子入りした。1948年に二つ目として三遊亭歌奴を名乗ると、たちまち「授業中」という創作落語で一世を風靡する。若い人たちは知らないだろうが、「山のアナアナ~」というアレだ。当時、始まったばかりのテレビ演芸番組では引っ張りだこで、もちろん『笑点』の大喜利メンバーでもあった。昭和天皇の前で御前公演もやったというから、とにかく途方もない人気者であった。

六本木の国立新美術館で展示中の草間弥生展。昭和ひとケタ世代の創作意欲には深く脱帽するよりほかにない(筆者撮影)

1970年に三代目圓歌を襲名する。以後はテレビ出演を控えて高座一筋で、落語協会の会長も務めている。さすがに今年に入ってからはお休みがちであったそうだが、実に生涯で約70年にわたって落語を演じ続けたことになる。—-

これからは「60代で現役引退」は論外になる 問題は「高齢者の資産をどう活用するかだ:より

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Categorised in: 眼瞼痙攣